落語の中の言葉273「比翼塚の小紫・中」 次に実在の三浦屋抱えの太夫小紫について考えます。 『北女閭起原』には三浦屋の太夫小紫(濃紫)は三代あり、その二代目が比翼塚の小紫だとしていますが、忍頂寺務編の「小紫年代記」は、時代ごとに次の八代をあげて、延宝小紫を比翼塚の小紫としています。 明暦小紫 「吉原丸鑑」、寛文の頃「当世武野俗談」 延宝小紫 「吉原大雑書」・「北… コメント:0 2024年11月20日 小紫太夫 続きを読むread more
落語の中の言葉272「比翼塚の小紫・上」 古今亭志ん生「幾世餅」枕より 志ん生師匠は「幾世餅」の枕で、新吉原三浦屋の太夫小紫について、平井権八と心中したと話しています。小紫が平井権八の墓の前で後追い自殺したという話は広く知られていました。 遊女とて操の正しき有。後年に三浦屋四郎左衛門が抱に濃紫といへる三代有。二代目濃むらさきは、賊平井権八に逢染しが、権八悪… コメント:0 2024年10月31日 小紫太夫 続きを読むread more
落語の中の言葉271「幡随院長兵衛追補2」 幡随院長兵衛の生業について WEB上には幡随院長兵衛の生業を「口入業」としているものもありますが、正確ではありません。幡随院長兵衛の生業は武家奉公人の一般口入ではなく、小普請高割人足の請負だったようです。『昔々物語』(享保十七1732・十八年1733頃八十歳程の老人の著)に幡随院長兵衛の時代の一般の武家奉公人の口入と小普請高割人足の… コメント:0 2024年09月20日 幡随院長兵衛 小普請 続きを読むread more