雑話16「なぞなぞ」

 『徒然草』の中に「なぞ」に関する話がいくつかあります。そのなかの一つに、

  第百三十五段
 資季(すけすゑ)大納言入道とかや聞えける人、具氏(ともうぢ)宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかゞ侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそゞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。「まして、こゝもとの浅き事は、何事なりとも明らめ申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰りて、「これはそゞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。そゞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負になりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。(西尾実・安良岡康作校注「新訂徒然草」岩波文庫)

「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう」の解は書かれていません。
 この謎の句読点は、西尾実・安良岡康作校注ではこのようになっていますが、本によって様々です。例えば、慶長元和頃の『徒然草』では、句読点はありません。寛文七年北村季吟『徒然草文段抄』では、「きつにのをか」と「なかくぼれいり」の間の一か所のみです。具氏がどのように話したのかは全く不明です。

この謎を栢原瓦全が解いていて、そのことを伴 蒿蹊が『閑田耕筆』(享和元年1801刊)に書いています。

謎語といふもの、やまとも、もろこしも、古へより聞ゆ。絶妙好辞を謎字にせるごとし。こゝに栢原の瓦全記せるもの有リ。をかしければあぐ。
「あたり近きに、ある宮がたの古女房の住ておはしけるが、雨夜のつれづれなるに、なぞなぞなどかけて興じ給ふ。椿葉落て露となるとかけて、雪とゝく、椿葉落てとは、はの言を除くなり。露となるとは、つばきのつをゆに置かふるなり。さてゆきとはなりぬ。これにつきて、かの兼好の書給ふつれづれ草の中に、馬のきつ、りやうきつにの岡中くぼれいり、ぐれんどう、といふことのわきがたきに、ものしりの大納言殿もまけになりて、負わざいかめしうせられしといふこと見ゆるが、心にうかびて、かうがへ見るに、馬のきつは馬といふ言のくなり。りやうきつにのをか中くぼれいりとは、りとかと上しもの二文字をのこして、中の七文字をのくるを、中くぼれいりとは、いひまぎらはしたるなり。ぐれんどうは顛倒にて、残れるりかの二文字をさかしまによみ、雁になるなぞなぞとはとけたり。さしも深くいひかすめて、興ぜしむかしの風流なるべしといへり。おのれおもふに、此うちれいりの三もじは、いひまぎらはしたるとはいへど、猶いかにともおもはるゝものから、かりと判ずるはおもしろし。〔割註〕此ころ、後奈良院御撰の謎の書を示す人のありしに、「ゆきは下よりとけて水のうへにそふ弓と解。「いちご岩なしちごととき、「花の山は花のき、はゝその森ははゝその木、山守ととくるいこれなり。

 鈴木棠三氏はこの「むまのきつり」の「なぞ」を不完全なものとされています(『ことば遊び』)。というのは、雁のほかにいくつかの解があり得るからです。
「むまのきつりやうきつにのをかなかくぼれいりくれんどう」は、どこで区切るか、「なかくぼれいり」で消し去る範囲をどうするかによって解が異なります。
切り方および消し去る範囲(赤字)は次の通りです。
 ①「むまのきつ、りやうきつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう」
 ②「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう」
 ③「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう」
 ④「むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼ、れいり、くれんどう」

 むまのきつ=むま退きつ この文字群消去
 むまのきつりやう=むま退きつ了 この文字群消去

 ①「り」「か」が残り、それがひっくり返って「かり」=雁
 ②「き」「か」が残り、それがひっくり返って「かき」=柿・垣
 ③「きつ」「をか」が残り、それぞれがひっくり返って
                     「かをつき」=顔付き
 ④「き」「か」が残り、その間に「れ」を入て「かれき」=枯れ木

この「なぞ」について山崎美成は『三養雑記』(天保十一年1840)で次のように書いています。
かくいへばいとむづかしく聞ゆれども、今童児の、常のたはぶれにいふなぞなぞに、これと全おもむきの似たるは、厠のわきにて、狐こんと啼、それは空言よ。みゝのなきみゝづくがもんどりをうつ。これ馬のきつと同例にて、空言よにてこれまでをはぶくなり。みゝのなきみゝづくは、みゝがなければづくの二文字ばかり存るを、もんどりをうつといふにて、倒置すれば、屑といふ謎になれるなり。
後奈良院御撰、何曾といふ書あり。群書類従にも収たり。そのかみのなぞなぞは、今やうとはすこしく異なり。予かつてきゝたるに、こばたひつくりかへして七月半を、たばこぼん、雀が利を持ながら目をぬかれ、されども子をば羽の下にありを、硯ばこ。うみ中(なか)てんだうして、月なかなかすまずを、蔦葛(つたかづら)。あさつてはあたご参りを、たまごと解ける類、大かたこのおもむきなり。今児戯にいへるが、中にも巧拙あり。破れ障子とかけて、冬の鶯ととく。心ははるをまつ。こはれ三味線とかけて、男の気性ととく。心はひくにひかれぬ。などやうのことあまたあれど、鄙俚なるものゝみいと多し。

 「こばたひつくりかへして七月半」
    「こばた」をひつくりかへして=たばこ、七月半=お盆 煙草盆
 「雀が利を持ながら目をぬかれ、されども子をば羽の下にあり」
    すずめ+「り」から「め」を抜いて=すずり、羽の下に子=はこ
     硯箱
 「うみ中(なか)てんだうして、月なかくすまず」
    解の蔦葛(つたかづら)から逆に考えて、海の中にあるのは竜(たつ)の都、
    月の中にあるのは、桂の大木。「たつ」転倒して「つた」、「かつ
    ら」の真ん中の「つ」が濁って「かづら」 蔦葛
 「あさつてはあたご参り」
    「あたご」から「あ」を去って=たご、まいりで「ま」を入れて
     たまご
以上四つのなぞを美成は後奈良院御撰「何曾」にあると聞いたとも受け取れるように書いていますが、後奈良院(在位1526-57)の時代に煙草盆が存在したのか疑問で、『群書類従』にある「何曾」にあたって見ましたが、載っていませんでした。後の時代の「なぞ」のようです。『閑田耕筆』にある「ゆきは下よりとけて水のうへにそふ」「いちご岩なし」「花の山は花のき、はゝその森ははゝその木」はありました。

 最後に「うまのきつ」の謎について個人的には①が最も抵抗感が小さく感じます。「うまのきつ」の「つ」は完了の助動詞で、ここで完了しているのにさらに「了」とつけるのには違和感があります。ただ疑問が残るのは「なかくぼれいり」です。くぼまる(凹・窪まる)・くぼむという言葉はあっても「くぼる」という言葉はありません。「くぼいり」であればわかりますが、「くぼいり」では意味不明です。④のように「れいり」にするために「くぼいり」をあえて「くぼいり」にしているのでしょうか。しかし「なかくぼ」で切ったのでは文字群が消去出来ません。窪んでいるだけでは消えないからです。「くぼれいり」ではじめて消えるように思います。この「なぞ」はどうも釈然としません。

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