雑話15「呉音・漢音・唐音」

漢字の音読みには何種類もありますが、主なものは呉音、漢音、唐音(唐宋音)の三種です。これらは日本に伝わった時期の違いからきたものです。
 ①呉音
日本に最も早く、すなわち、三世紀後半から六世紀ごろ、仏教などとともに伝来したもの。仏教の経典が呉音で読まれることが多いのは、このためである。大体、揚子江以南の、呉の地方の方言にあたる、と言われる。多く朝鮮半島を経由して来たので、「百済(くだら)音」ともいう
 ②漢音 奈良時代から平安時代にかけて、遣隋使・遣唐使・留学生などによって伝えられた。唐以後、長安(今の西安)の都を中心として、漢民族に使われていた音。都の言葉だから「標準語」にあたるとして、「方言」である①の呉音をやめさせようと禁令まで出たが、結局は共存することになってしまった。
 ③唐音 「唐宋音」、「宋音」などともいう。
室町時代以後、禅僧や商人によって伝えられた、宋・元・明などの時代の音。中国南部の杭州のものが多いが、当時中国のことを唐と言っていたので、この名がついた。しかし、一、禅宗関係の語にかたよっていた。二、それほど組織的な伝来ではない。三、呉音・漢音がすでに日本人に浸透していた、などの理由で、一般にはそれほど広まらなかった。(山本昌弘『漢字遊び』)

平安時代、唐に強い憧れを持った朝廷は、漢音を使うように命じますが、長年の習慣もあり、呉音を止めさせることはできませんでした。

 あるひとのいはく、儒書は漢音もて読べし。仏書と医書は呉音にてよむこと、いにしへのならひなりといへり。
考るにしからず。仏書を呉音もてよむべからずといへること。いにしへ既に天子の命あり。日本紀略云、〔桓武天皇延暦十年閠十一月、〕辛丑。勅。明経之徒不可習呉音。発声誦読既致訛謬。熟習漢音。と見えたり。これは儒家の事なり。又類聚国史百八十七仏道部。〔延暦十二年四月〕丙子。制。自今以後。年分度者。非習漢音。勿令得度。また同巻百七十九に、〔延暦二十五年〕辛卯。宜華厳業二人。天台業二人。律業二人。三論業三人。法相業三人。分業勧催共令競学。仍須各依本業疏。読法華金光明二部経。漢音以及訓経論之中云々。若有習義殊高。勿限漢音。と見えて、あまたゝび漢音もて書をよまんことの詔ありし也。されど呉音に熟したる故にや、いまに漢音をばしらぬ僧もおほし。呉音をもて仏書はよむべきにかぎれりとおもふはひがごとなり。(石川雅望『ねざめのすさび』 雅望は文政十三年1830歿)

 ごく短いお経で確かめて見ました。十句観音経は落語の「景清」に出てくる四十二文字のお経です。ただし、八代目桂文楽師匠の咄では、桂米朝師匠や二代目三遊亭百生師匠と違い、わずかしかでてきませんが。

カン・ゼー・オン  ナー・ムー・ブツ  ヨー・ブツ・ウー・イン
観  世  音   南  無  仏   与  仏  有  因

ヨー・ブツ・ウー・エン ブツ・ポウ・ソウ・エン ジョウ・ラク・ガー・ジョウ
与  仏  有  縁   仏 法 僧 縁   常 楽 我 浄

チョウ・ネン・カン・ゼー・オン  ボー・ネン・カン・ゼー・オン 
朝  念  観  世  音    暮  念  観  世  音 

ネン・ネン・ジュウ・シン・キ   ネン・ネン・フー・リー・シン
念  々  従  心  起    念  々  不  離  心

同じ文字が複数回使われていますので文字数は四十二ですが文字の種類は二十四です。
『角川漢和中辞典』に従うと十句観音経の音は次の通りです。
    十句観音経の文字の音  
 慣用音共通音呉 音漢 音
 観 
 
カン
  
 世   セイ
 音   オンイン
 南   
ナン
 無   
 仏 ブツ フツ
 与    
 有   ユウ
 因  イン  
 縁  エン  
 法  ホウホフハフ
 僧  ソウ  
 常  ジョウジャウシャウ
 楽  ラクガク
 我    
 浄  ジョウジャウセイ
 朝  チョウ  
 念   ネンデン
 暮   
 従 ジュウ ジュショウ
 心  シン  
 起    
 不  フツ
 離    
 12
 『角川漢和中辞典』の凡例には「漢
 音・呉音共通のものは記号を省略し
 た。なお、漢音・呉音は、理論的に
 はすべての字について表示すること
 ができるが、じっさいの日本漢字音
 では使用されないものは省略した。」
 とありますので、慣用音が3文字、
 呉音漢音共通が12文字、呉音が8
 文字、漢音が1文字です。漢音で読
 まれている唯一の文字は「暮」です
 が、その呉音は日本では使われてい
 ないようです。慣用音の3文字と日
 本では呉音が使われていない1文字
 (暮)以外はすべて呉音で読まれて
 いることになります。また、慣用音
 の「仏」ブツと「従」ジュウは、こ
 れを呉音としている漢和辞典も多く
 あります。いずれにしてもほとんど
 に呉音が使われていることになりま
 す。
 ただ、三井寺(長等山園城寺(ながら
 さんおんじょうじ))のホームページ
「仏教豆百科」呉音と漢音(三)には





 お葬式をしないお寺ですが、日常読誦します『観音経』や『般若心経』は呉音で、法華経『安楽行品』や『阿弥陀経』は漢音で読んでおります。
とありますので、呉音一辺倒ではないようです。
 仏教界では呉音が使われ続けます。長年の慣れが主な要因でしょうが、お経や声明など声に出して唱えることが多いことにもよるのかもしれません。歌あるいは音楽として見た時は、漢音より呉音の方が発声もしやすく耳にも優しいように思います。
古は総じて呉音によみし事多きは諸家おのおの論ぜり。周礼(しゅらい)、礼記(らいき)、周公旦(すくたん)、孔子(くし)、鄭玄(でふげん)、金剛山(こんがうせん)、鵞峯山(しゆぶせん)、霊鷲山(れうじゆせん)等見るべし。了蓮寺にて磨光韻鏡を聴侍るに、音声は呉音の方正音と聞ゆ。(橘 泰『筆のすさび(芝屋随筆)』巻之三 文化三年1806刊)

 一般には漢音が中心ではありますが、仏教用語から一般用語になった言葉も非常に多くあるため、呉音もかなりあります。漢音・呉音に比べ唐音は僅かです。
 呉音・漢音・唐音の三つの音で読まれる文字も、僅かですがあります。
     呉音       漢音       唐音
  京  キョウ 京都   ケイ  京師   キン  南京
  外  ゲ   外科   ガイ  外国   ウイ  外郎
  提  ダイ  菩提   ティ  提出   チョウ 提灯
  明  ミョウ 明星   メイ  明月   ミン  明国
  経  キョウ 写経   ケイ  経済   キン  看経
  清  ショウ 清浄   セイ  清流   シン  清国
  胡  ゴ   胡麻   コ   胡弓   ウ   胡乱
  脚  カク  脚気   キャク 脚色   キャ  行脚
  行  ギョウ 行政   コウ  行進   アン  行灯
  請  ショウ 勧請   セイ  請願   シン  普請

 仏書は呉音、儒書は漢音で読むことが多く、「誦経」は仏教経典を読むのは「ジュキョウ」または「ズキョウ」、儒教の経典を読むのは「ショウケイ」です。
     呉音   漢音
  誦  ジュ   ショウ
  経  キョウ  ケイ

 医書は一般語と同様に呉音・漢音混じりです
漢方薬の例
「苓」呉音リョウ 漢音レイ   茯苓(ぶくりょう) 猪苓(ちょれい)
「香」呉音コウ  漢音キョウ  沈香(じんこう)  茴香(ういきょう)
「白」呉音ビャク 漢音ハク   白朮(びゃくじゅ) 桑白皮(そうはくひ)
「芥」呉音ケ   漢音カイ   白芥子(びゃくけし)荊芥(けいがい)

 ところで臨済宗を開いた栄西は普通「エイサイ」といっていますが、臨済宗大本山建仁寺のホームページには
「建仁寺は建仁二年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。」として栄西のことを「開山千光祖師明庵栄西(みんなんようさい)禅師」とあります。
 「栄」 呉音ヨウ  漢音エイ
栄西は僧侶ですから呉音の「ヨウサイ」が正しいのかも知れません。

 また紅葉と変わった姿の本尊で知られる京都の永観堂(えいかんどう)、正式名称は聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺、のホームページによると、「第七世永観律師にちなみ『永観堂』と通称され」ているとのことですが、その永観律師は「ようかんりつし」なのです。
 「永」 呉音ヨウ  漢音エイ

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