落語の中の言葉267「大家といえば親も同然」
大家(家主・家守)については、38「家主」(差配人・給金以外の収入・店賃など)、254「店だて」(店子の吟味・連帯責任・店請証文など)で採り上げました。今回は大家と店子との関係についてです。一部重なる部分もあります。
落語には「大家といえば親も同然、店子といえば子も同然」という言葉がよく出てきます。親子ほど親密な関係という意味で使われているようですが、これは落語の世界での話であって歴史的な事実とは云えないようです。
江戸に於ける大家と店子の関係は例えば次のように云われます。
さて、家主は五人組を組織し、その中から選出された月行事(がちぎょうじ)が、毎月交代で町の政務を勤めた。しかし、家主は町役人という側面に加え、地主に雇用されているいわば管理人でもあり、任されている土地建物に居住する店子、すなわち地借・店借層に対する地代・店賃の徴収、防犯監視などの経営実務も課せられていたのである。したがって、あくまでも家主は店子を監護する立場にあり、両者間には一般にいわれるような、親密な交友関係は成り立たなかったと考えられる。(小沢詠美子「首都江戸の発展」 大石学編『江戸時代への接近』)
青字の部分はちょっと言い過ぎのように思います。
「大家といえば親も同然、店子といえば子も同様」などという表現とともに、落語にはしょっちゅう登場してくる大家さんであるが、まことに江戸時代は現代と違って随分と人情が厚かったものだと考えるのは、やはり現代的視点による一種の誤解であろう。そもそも、「大家」というのは貸家の持ち主なのではなく、それを管理している者なのである。『守貞謾稿』によると、家主、……私には大屋とも云。……地主の地面を支配し、地代・店賃を店子より集めて地主に収め、公用・町用を勤め、自身番所に出て非常を守るを職とす。とある。つまりへ地主や貸家の持ち主から委託されて、地代および店賃を徴収する役目の者で、形式から言えば、現代の管理人に近い者ということになる。しかし、現代の管理人と大きく違うのは、町役人として、町の行政権・警察権を担当、ことに店子(正式の町人とは認められていなかった)に対してはあらゆる責任を負う立場にあったという点であろう。このことは逆に、店子に対して指導・監督権をも有するということである。この責任・権利関係が「大家といえば親も同然、店子といえば子も同様」といわれるような人間関係を生じさせたのである。(岩田秀行「大家」 西山松之助編『江戸ことば百話』)
254「店だて」で紹介したように、大家は、店子の犯罪その他の行為に対し、かなり広い範囲に連帯責任を負わされていました。
隠売女を例にとると、
文政四年1821十月
町々ニ而娘又は女を抱置、料理茶屋其外茶見世等ニ客有之候節差遣、売女同様之稼為致候由相聞不届至極ニ付、若左様之者於有之は召捕、当人は不及申町役人共迄咎可申付、地主は地面可取上旨、天明年中触置候処、一躰近来人数相増、其上売女ニ紛敷所業之者共も有之不届至極ニ付、以来右躰之儀於有之は無用捨召捕、当人は勿論地主并町役人共迄急度咎メ可申付候、常々無油断遂穿鑿、如何之風聞及承候ハヾ、早々可申立候、此旨町中可触知者也
巳十月
右之通従町御奉行所被仰渡候間、町中家持借屋店借裏々迄不洩様可相触候
巳十月十九日 町年寄役所 (『江戸町触集成』第十二巻)
『御定書百箇条』(四十七)隠売女御仕置之事
一家主 身上に応じ過料之上、百日手鎖隔日封印改
家主建置候家蔵有之候はゞ、五年之内店賃相納させ可申候。
一五人組 過料
一地主 五ヶ年之内、家屋敷取上地代店賃共為相納、五ヶ年過候はゞ
元地主え返可被下
但外に罷在候共、右同断に取斗い、又候売女置候はゞ、幾度
も同様に申付、明地には申付間敷候。
家主の場合、自分の店子でなくても五人組の店子であれば過料に処されます。
そのため土地建物を貸す際には、その身元を慎重に調べることになり、店子にした後も、その生活に十分気を配ることになります。
親子同然というのは、未成年者と親権者のような責任・権利関係が元で、親密な関係というのは二次的に派生してきたもののようです。
因みに、江戸の町人にはいくつかのランクがありました。家持・地借・店借・裏店借です。
『守貞謾稿』には次のようにあります。
家 持 自宅の地を買得て自地に住居する者
地 借 他人の地を借り、こゝに居宅・土蔵等を造るには自費をもつてした
るを云ふ。地代と号して毎晦家主にこれを収め、家主より地主に収
む。
店 借 地と家宅ともに借りて住むを店借と云ふ。月収を店賃と号(なづ)
け、毎晦家主にこれを収む同前。
裡借屋 同前。ただし裡地に居宅するを云ふ。
家 主 戸籍等には家主と書く。すなはち家守なり。私には大屋とも云ふ。
(中略)地主の地面を支配し、地代・店賃を店子より集めて地主に
収め、公用・町用を勤め、自身番所に出て非常を守るを職とす。
町人には権利もあれば義務もあり、借家人には権利もなければ義務もないと前に述べた。町人とは厳密にいえば家屋敷を所有する者、すなわち家持(いえもち)のことである。大阪では家持を、①町内持、②他町持、③他国持の三つに分ける。①の町内持が江戸の居附地主に当ります。②③は持主が他町他国に住んでいるのですから、その町に住んでいる何人かに依頼し、自己所有の家屋敷を代表し、併せて家屋敷内にある地借・店借人を支配せしめなければなりません。その依頼を受けた人が家守です。(幸田成友『江戸と大阪』)
一口に「町人」と云いますが、これは「武士」に対する言葉で、正式の町人は家持だけです。地借・店借・裏店借は店子であって、一人前の「町人」ではありません。町の費用を負担する義務はありませんが、町政に参加する権利もありません。また訴訟も大家の印が無くては出来ませんでした。家主(家守・大家)は正式の「町人」ではありませんが、それに準ずる者とされています。
町触にみる町人の区分実例
安政二年十月 地震被害者への施しに対する褒美下賜に関する触
深川木場町
家持 善右衛門
同所
平三郎地借 (註:平三郎は地主)
治郎兵衛
嘉永三年六月 孝子に対する褒美下賜に関する触
元赤坂町亀右衛門店 (註:亀右衛門は大家)
弥市悴
市三郎
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