落語の中の言葉254「店だて」

          三代目三遊亭金馬「二十四孝」より

 咄の中で大家さんは、おっかさんをぶったり張ったりするのは言語道断、意見するだけ無駄だから店をあけろ、ご入用の際はいつ何時でも店をあけるという店請証文が入っているという。
今回は江戸時代の店借りについてとりあげます。但し、町人に貸す場合です。借り手が支配違いの者(出家・神職・修験等)や医師・盲人などの場合には、町人にない様々な事があるからです。
 店借り希望者に対する大家さんの吟味について、興津要氏は『大江戸長屋ばなし』で「小言幸兵衛」をとりあげ、次のように書かれています。
この咄には、家主の借家人を吟味する実態が、じつにみごとに描かれていて興味深い。
 借家希望者が来た際には、借りようという当人はもちろんのこと、家族全員の経歴、性格、素行、健康状態までを綿密に質問し、それまでの住居近辺まで出かけて行って調査もして、不審の点があれば拒否した。
 というのも、家主自身が罪を犯さなくても、借家人のなかから、盗賊、放火犯、殺人犯などが出たり、借家人が拾った子を、面倒になって捨てて死亡させたり、貸した家が賭博宿や淫売宿に使用されたり、借家から火事を出したりした場合には、監督不行き届きということから連帯責任を取らされ、事情によっては、家主も、罰金、手鎖、所払い(追放)、遠島などの刑を受けたり、家主の地位を奪われることにもなるからだった。
 ただし、軽い過失の場合には、奉行所の同心や岡っ引きに袖の下(賄賂)を使って見逃してもらうこともあった。
 家主は、以上のような責任を負わされるために、借家人がきまると、その身もと、素性、宗旨などを明記し、賭博宿、淫売宿などに使用したり、悪党を宿泊させたりしない旨、家明け渡し、家賃支払いに関する約束などを記した”借家請状”という誓約書を入れさせた。
 それでもなお後難を恐れ、入居者を厳選するばかりでなく、入居後も厳重な監督をつづけることになった。
 『御定書百箇条』のうち「隠売女」「博奕」「出火」の条から家主の連帯責任を示すと次の通りです。

四十七 隠売女御仕置之事
 (享保八年極)
 一隠売女            三ヶ年之内。新吉原えとらせ遣す
 一家主             身上に応し過料之上。百日手鎖隔日封印改

五十五 三笠附博奕打取退無尽御仕置之事
 一博奕筒取并宿         遠島
 一博奕打候もの         家財家蔵取上候程之過料。家蔵無之ものは
                 五貫文或は三貫文過料
 一博奕宿并筒取致候ものの家主  身上に応し過料之上、百日手鎖

六十九 出火に付而之事
 一平日出火之節。小間拾間より以上。焼失に候はゞ
  火元             類焼之多少に寄。三十日二十日十日押込
 一御成日朝より還御迄之間。并小菅御殿。御成還御之日。并御逗留中。
  小間拾間以上焼失。且平日三町より以上焼失之節。
  火元             五十日手鎖
  火元之家主          三十日押込

 また、金銭関係のことでも責任を追及されるといいます。
武家方でも町方でも、奉公するには身元保証人が必要であった。奉公に出たものが店の金を持ち出したり、前金をもらってすぐにいなくなってしまった時、その弁償は身元保証人が引請けなければならない。その身元保証人も出奔して所在不明となった場合、その責任は身元保証人の家主にまわってくる。家主がとりあえずその穴埋めをしなければならなかった。店を貸すということは金銭上の貸借関係にとどまらない要素を含んでいた。こうした場合の家主の責任は次第に軽くなってはいくが、基本的にはかわらず、中には訴訟にもちこむ主人もいて、そのために手鎖、店預けとなる家主もいたのである。
 商売上の売掛け金滞りなどでも家主が肩がわりをしなければならなかった。店内のものに売掛け金の出入りが生じた場合、債権者と債務者である店子との間で種々調停作業が進められるが、その間店子が出奔してしまうと、その債務は家主と店請人とで弁済するたて前であった。 (片倉比佐子『江戸住宅事情』都史紀要三十四)

 家主の店子選びについて、三田村鳶魚氏は次のように述べています。
江戸の町々には、各々いろいろな条件がありました。例えば、この町は建具商ばかりとか、古着屋ばかりとか、あるいは、町内で同商売はならぬとか、しもたやといって無商売なのはいけないとかいうようなことがありました。これは、表店と申して、大道路を前に控えたところのことです。地借りにしても、これこれの建築でなければならぬ、町並みの通りに拵えろ、といった制限がありました。それ故に、今日の葬儀店、昔の早物屋は表通りになく、囲い者は必ず新道に住むといった様子にもなっていたのです。これが制度とか法律とかでなく、町内の取極めでチャンと行われておりましたのは、地面を貸し、店舗を貸すのは家主の管掌であって、既定の条件を承知しない者には、貸さなかったのです。また、その上に人選みをする、ああいう者を町内に入れたくないなどと申して、拒みもいたしました。(『江戸雑録』)

 店を貸す場合、江戸時代には本人の家業や商売の様子などを調べて慥かな者であることを確かめる他に、店請人をとること、前に住んでいたところの家主に聞き合わせることが命ぜられていました。

慶安三卯年1650の御触
一棚衆置候ヽ念を入、棚之者移不申前廉請人を極、店借可申事
一棚之者致欠落候ヽ、棚請人御掛り可被成との御事に候間、
 能々吟味いたし、慥成請人を取可申事
   卯三月

享保十五年1730の御触
町々ニ而店借候節、元家主方不遂吟味、猥店借候故、尋者等差置候儀も有之、并筋悪敷人宿出入其外不埓成儀共出来候間、自今元家主方承届、不埓成者無之候ヽ店借可申候、新規之店借其者出所承届、店借可申候、右之通吟味も不仕店借置、不埓之出入出来致候ヽ、家主勿論、品より名主五人組迄可為越度候条、此趣町中不残可触知者也
  五月

 引用者註:江戸時代は「貸」「借」の文字が同義に使われているので文章全体からどちらの意味か判断する必要があります。上記の町触にある「借」は「貸」の意味です。

 家主(家守)をしているものがその心得を書いた『家守杖』には多くの注意点が書かれています。
 店借り希望者本人の家業・住所・生国
 店請人の名・住所・商売
 商売によっては奉行所の許可や組合仲間の承諾
 他国から来たものについては人別の送り状の有無
などです。原文は最後に掲げておきます。

 また貸す前に店請証文をとりますが、その内容についても『家守杖』に書かれています。その中には入用の際はいつ何時でも店をあけるという項目もあります。

   ○店請状之事
一、店請状之儀は左之通振合案文を以可認候事、
一、此誰と申者、生国何州何村之者にて、是迄御咎等奉請候者には無之、身元能存知、慥成者に付、我等何之何々縁を以請人に相立、貴殿家守為致候店借請差置候処実正也、店賃之儀は一ヶ月に銀何程づゝ、毎月晦日限り急度為相納可申候、万一相滞候節は我等引受立替相済、少しも御損毛相掛申間敷候、店御入用之節は、何時成共早速明渡可申候事
一、御公儀様御法度之諸勝負事、隠売女之類は不及申、前々御制禁之御触事堅く為相守、并火之元別入念為仕、都貴殿より被申渡候趣并町並店並之儀不依何事に為相背申間敷候、人別外之者は決不差置候、仮令親類たり共、貴殿無断一夜之止宿も為致申敷候事、
一、宗旨之儀は代々何宗何方何寺旦那に紛無御座候、御法度之宗門にては無御座候、則寺手形受状我等方取置候間、御入用之節は何時成共差出可申候事、
 右之通我等請に相立候上は、以後何様之義出来候共、我等引受、貴殿御苦労相掛ヶ申間敷候、且我等転宅又は旅行等仕候はゞ、早速御届ヶ可申候、為後日店請状仍如件、
  年号月日           何町誰店
                  店請人
                    誰  印
                  店借主
                    誰  印
 家 主
   誰  殿

 店請状は店請人の現状を確認するために、店請人の所へ出向いて印形をとります。そして店請人の家主へもその旨を断わります。その後も店請人が転宅や他国して請け状が反古同様になっていないか時々見回って確かめる必要もあります。
 また、店だてする場合にもただ追い出せばいいというものではありません。店請状の後ろに引取の証文を店請人から取っておく必要がありました。

   ○店之者引渡之事
一、地借店借之者請人方引渡候節は、左之通案文にて店請状継書致置可申候事、
    案  文
前書誰義、貴殿家守被致候店借差置候所、此度勝手に付店明渡、当人妻子并家財等迄不残我等方御引渡被下、慥に引取申候所実正也、然る上は誰身分是迄貴殿御店に罷在候内之儀に付、自今以後如何様之義致出来候共、貴殿少も御苦労相掛ヶ申間敷候、為後日引取一札仍如件、
  年号月日           何町誰店
                   引取人誰印
   家 主
    誰  殿
 右は当人并引取人、右両人之継印為致候て即刻出人別に記し、名主相届ヶ可申候事、

 また家主(家守)自身も地主に雇われているので、家主を勤める際には一般奉公人と同様請人が必要です。また家主を辞める時にも請人の引取証文が要求されます。次に実例を紹介します。

    家守請状の事
一此藤兵衛と申者、生国紀州賀茂郡下村にて能存知、慥成者に御座候間、我等
家守請人に罷立、貴殿の御持所麹町拾三丁目北側、東角より五軒目、大通り裏口六間の家屋鋪壱ヶ所の家守に被仰付候所、実正に御座候、然る上は向候此藤兵衛儀に付、若何ヶ様の儀出来致候共、請人の我等罷出、其旦那御組合衆へも一切御苦労相掛申間敷、地代金・店賃等毎月晦日に店主出情(精)致、取立次第差上可申候、若引置等仕候はゝ、早々私方より立替差上可[破損]家屋鋪の儀は大切に相守、毎夜見廻り仕、御法度の儀無之様可為致申候事
一此藤兵衛宗旨の儀は浄土宗にて、鮫ヶ橋八軒町にて香蓮寺且那に相違無御座
候、判(則)寺手形我等方へ取置候間、御入用次第差上可申候、右藤兵衛儀は幾年成共、以此証文を御請合申上候、為後日の家守請状、依之如件
    天明元丑年十二月十日
               四谷塩町壱丁目家主
                   請人  吉左衛門
                   家守  藤兵衛
            伊勢屋惣兵衛殿

    差上申引取一札の事
一是迄私儀家守請に相立、貴殿御持の家屋鋪当三月六日迄家守相勤罷在候所、
父病気に付、国本へ罷越候に付、御暇頂戴仕、私方へ引取申所実正也、右藤兵衛儀に付、向後何方より何ヶ様の儀申来り候共、私引取候上は、貴殿へ少も御苦労相掛申間敷候、為後日の入置申引取一札、依如件
    天明八申年三月七日
               四谷塩町壱丁目家主
                   引取人  吉左衛門
            赤坂田町
                 伊勢屋惣兵衛殿
        (「御奉行所/御役所向 言上帳」『四谷塩町一丁目御用留』)


店貸しの注意点、原文
   ○地面店貸附之事
一、地面店貸附候節者、両様之内借請度旨申来候はゞ先当人之家業并元之町所生国并店請人之名、住所商売体共承り糺、借主渡世筋に寄、番組両替屋其外組合商売人、又は食類同渡世之もの当人引移候後、支配より被差留候筋有之歟、亦は差障り申出候者有之候はゞ、向々之見世雑作等為致候後、取払等に相成候は、借主当前之難義に相成候間、差障之有無、得と取調候上にて、当人御当地出生に無之候とも、是迄外町に罷在候歟、国元を出候節、人別除に相成、村役人送り状弥無相違候はゞ、身体之様子見届ヶ候上、地面店貸附可申候事、



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