気になる言葉19「かわいい」

 「かわいい」という言葉は頻繁に聞きます。大分前からのはやり言葉で、未だに廃れません。ただこの言葉少し変なのです。「そうだ」という言葉を後ろに付けた時、それが現れます。
 形容詞の場合、終止形に「そうだ」を付けると伝聞の意味になり、語幹に付けると推量の意味になります。

        伝聞の意      推量の意
  寒い    寒いそうだ     寒そうだ
  痛い    痛いそうだ     痛そうだ
  面白い   面白いそうだ    面白そうだ
  美しい   美しいそうだ    美しそうだ

 ところが「かわいい」になると

  かわいい  かわいいそうだ   かわいそうだ

終止形に「そうだ」と続けた場合は他の言葉と同じく伝聞の意味になりますが、語幹に付けた時は他の言葉の場合とは違い、「かわいい」とは別の意味になってしまいます。何故でしょう。

「かわいい」を辞書で引くと

 かわいい《形》(カワユイの転。「可愛い」は当て字)
  ①いたわしい。ふびんだ。かわいそうだ。
  ②愛すべきである。深い愛情を感じる。
  ③小さくて美しい。         (『広辞苑』)

とあります。今は専ら②と③の意味で使われ、①の意味では使われていません。どうやら『広辞苑』は、この言葉の意味を古い順に並べたらしく思われます。

 「かわいい」は「かはゆし」が元で、かはゆし→かは(ワ)ゆい→かわいい と変化したらしい。そこで 「かはゆし」を辞書で引くと次のようにありました。

 かはゆし 形ク
 ①いとおしい。かわいそうだ。
 ②恥ずかしい。
 ③愛らしい。     (『角川古語辞典』)

清水浜臣は『答問雑稿』(享和二年頃~文政五年頃)に多くの例を引いて次のように云います。
按ずるに、かはゆしといふ詞、可愛の字音也といふは、いみじきあやまり也。(中略)
さればかはゆしとは、其人を不便におもふ心の、われながらとどめがたきをいふ事なりとしるべし。

〇今昔物語巻廿六
継母は自分の連れ子に財産を独り占めさせようと、手なずけた家来に継子を殺させようとする、

男の思ふ様、「この児に刀を突き立て、箭を射立てて殺さむは、なほかはゆし。ただ野に将て行て、掘り埋まん」と思ひて、

〇『徒然草』第百七十五段
酔っぱらいの醜態について

年老い、袈裟掛けたる法師の、小童の肩を押へて、聞えぬ事ども言ひつゝよろめきたる、いとかはゆし

いずれも不憫に思う気持ちを表しています。
江戸時代にも「ふびんだ、かわいそうだ」の意味で「可愛い」が使われています。
○木室卯雲『鹿の子餅』明和九年1772
夜発(よたか)蕎麦、一つ辻へ集まり、「さて、惣兵衛と十兵衛、『米が高くて蕎麦きりも合(あは)ぬ合ぬ』と言ふたが、ゆふべから内へもどらぬといふ事じや。出奔したか、又は狐にでも化(ば)やかされて、どこぞに居るか、何にもせい可愛(かわゆ)いこつた。どうで歩く夜道、手ンでンに呼んで、尋ねてやらうじやあるまいか」「いかにも、それがよかろう」と、面々、箱をかついで立ち別れ、声張り上げて、「蕎麦きり蕎麦きり」。声低にして、「十兵衛やそうべい」。

 言葉は使い方も意味も変わっていきます。もとは、〈いたわしい・不憫だ〉という意味であった「かはゆし」も、〈愛すべき〉の意味が加わって「可愛い」と当て字されるようになり、ついには専らその意味で使われるようになったものと思われます。そしてもともとの〈いたわしい・不憫だ〉という意味は「かわいそうだ」という言葉にだけ残ったのでしょう。

 「かわゆい」と同様に、一部の意味でしか使われなくなった言葉に「おかしい(をかし)」「かなしい(かなし)」もあります。

さて猶くはしく考へおもへば、をかしも、あはれも、かなしも、皆心の中にいたくしみとほるほど切なる時、うれしきにも、かなしきにも、わらはしきにも、おもしろきにもいふ詞也。(『答問雑稿』)

「をかし」は、枕草子に多用されていて知られていますので省きますが、普通でないこと(プラスの価値の方向にもマイナスの価値の方向にも)に使われていましたが、プラスの価値の方向に普通でないことには使われなくなったように思われます。

かなしとは、身にしみておもふことにひろくいへる詞なり。悲歎の意をいふやうなれど、これハことに身にしみておぼゆれバ、おのづからそのこころにいへるがあまたあるゆゑに、さおもハるゝになん。古今集の歌に、みちのくハいづくハあれどしほがまのうらこぐ舟のつなでかなしも、といへるハ、身にしミておもしろくおぼゆるこゝろ、伊勢物語に、ひとり子にさへありければいとかなしうしたまひけり、とあるハ、身にしみていつくしむこゝろ、又同物語に、さりともとおもふらんこそかなしけれあるにもあらぬ身をばしらずて、といひ、古今集に、声をだにきかでわかるゝたまよりもなきとこにねん君ぞかなしき、といへるハ、身にしみていとほしくおもふこころなり。かくいろいろにつかへるやうかはれども、身にしみておもふこゝろは同じけれバ、さるこゝろの詞とおもひて。 (藤井髙尚『松の落葉』 髙尚は天保十一年1840歿)

〇今昔物語巻廿六
それが若かりける時、子もなかりければ、わが財伝ふべき人なしとて、子をあながちに願ひける程に、年もやうやく老いにけり。妻の年は四十に余るまでなん、今は子産まん事も思ひ懸けぬ程に、懐妊しにけり。夫妻ともにこれを喜び思ふ程に、月満ちて端正美麗なる男子を産めば、父母これを悲しみ愛して、目を放たず養ふ程に、(以下略)

〇古今和歌集
をとこの人の国にまかりけるまに女にはかにやまひをしていとよわくなりにける時よみおきてみまかりにける      よみ人しらず
  声をだにきかでわかるゝたまよりもなきとこにねむ君ぞかなしき

この歌を本居宣長は次のように口語訳をしています(『古今集遠鏡』)。
追付京へ御カヘリナサッタラ ワタシハモウ今度死ンデシマウテ居モセヌ床ヘオヒトリサビシウ御寝(ぎよし)ナルデアラウト存ジマスレバ オマヘノ御声ヲサヘエキカズニ ワカレテ死ニマスルワタシガ魂ヨリモ オマヘガサ ワシヤオイトシイ

この二例の「悲しみ」「かなしき」はともに「いとおしい」の意味で悲哀ではありません。


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