落語の中の言葉248「ガマの油売りの口上」
三代目三遊亭金馬「高田の馬場」より
この咄にはガマの油売りの口上が出て来ます。この口上について、薬剤師である鈴木昶氏は『江戸の妙薬』1991 で、ガマの油売りの口上を始めたという兵助の伝説に続けて次のように書かれています。
序でながら『江戸の妙薬』の「蝦蟇の油」には上に「筑波で観光化する蝦蟇の油売り」(写真)と下に「長井兵助の大道売り(『江戸名物誌』)」が載せてありますが、『江戸名物誌』の長井兵助は居合抜きで人寄せをして歯磨き売ったもので、蝦蟇の油とは関係有りません。また、蝦蟇は四六が普通であることは確認していません。
ガマはオオバコを食べるわけではありませんが、オオバコと蛙には深い関係があります。
引用者註:芣苢=馬舄=車前=車前草=オオバコ
また、ガマの毒については
この他、口上に出て来る言葉からいくつか採りあげてみます。
「てれめんていか」「まんていか」
マンテイカ 名(ポルトガルmanteiga)イノシシやブタなどの脂肪。膏薬に加えたり、料理の揚げ油、機械のさび止めなどに用いたりする。(『日本国語大辞典』)
「てれめんていか」は辞書に載っていませんでしたが、似た言葉はありました。
テレメンティナ 「テレビンティナ」に同じ
テレビンティナ (テレビンチナ・テレビンチーナ)マツ科の植物から採取した樹脂。これを精製してテレビン油をとる。篤耨香。テレペンティン。テレメンティナ。(『日本国語大辞典』)
てれめんていな(ポルトガル語terebinthinaの訛)テレピン油。(『江戸語大辞典』)
てれめんていこ 下に「ちりめんちんこ」と続けていう。共に葡語ないし蘭語に擬した語で、芝口の呉服屋松坂屋で売った下締の意か。寛政三年・廬生夢魂其前日「唐土呉の丁固とやら、てれめんていことやらが」文化三年・小野*謔字尽妄書かなづかひ「てれめんていこちりめんちんこ てれめんハ芝口、ちりめんハ下〆」(『江戸語大辞典』)
『江戸語大辞典』には「てれめんていこ」を「芝口の呉服屋松坂屋で売った下締の意か」とありますが、菊岡沾凉の『続江戸砂子温故名跡志』巻之五(享保二十年1735刊)には薬としてあがっています。
衆人の急を救ふの名方良薬として龍脳丸以下多数を揚げる中に、
ちりめんていこ
てれめんていこ 芝口二丁目 大坂屋七郎兵衛
とあります。続いて目薬の部(歯薬を含む)、膏薬の部がありますから、目薬でも膏薬でもないことは分かりますが、どのような薬効があったのかは不明です。この名薬も明治を待たずになくなったようです。文化元年1804生まれ、慶応四年(明治に改元)1868歿の笠亭仙果は『於路加於比』に次のように書いています。
因みに両国小松屋の幾世餅は落語「幾代餅」に出て来るあの幾世餅です。
また「三七二十一日の間、柳の小枝をもってトローリトロリ」については、思い出すことがあります。高校生だった時、化学の授業で講師の先生からこんな話を聞いた記憶があります。
この口上を考えた人はなかなかの物知りだ。この言葉は錬金術からきている。おそらく明治になってから出来た口上であろう。
というものです。何に基づくのか真偽の程はわかりませんが、蒸留をはじめ錬金術から生まれた化学技法はいろいろありますから、比較的低温での長時間加熱という蝦蟇の油の製造法は錬金術由来ということも有りそうには思われます。
ガマの油売りは江戸時代からあったと言われていますが、江戸時代のものでガマの油売りについて書いたものは、まだ見ていません。それ程知られていなかったのかもしれません。
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この咄にはガマの油売りの口上が出て来ます。この口上について、薬剤師である鈴木昶氏は『江戸の妙薬』1991 で、ガマの油売りの口上を始めたという兵助の伝説に続けて次のように書かれています。
兵助の口上にも、ずいぶん嘘が目立つ。たとえば「ただのがまとはがまが違う」と見栄を切った四六の蝦蟇だが、蝦蟇の指は四六が正常なのだ。前脚には五本分の骨があるが退化しているので四本にみえるし、後脚は五本が揃い一本が瘤のような形で突起しているから、どこの蝦蟇も四六である。また蝦蟇は虫類を捕食するもので、「おんぼこ」(オオバコ)を食うわけがない。膏薬をつけて刃物の切れ味を止めるのもいんちきだ。おそらく兵助の持つ太刀には、切れる部分となまくらな部分と何らかの仕掛けがあったのだろう。
「四面鏡張りの箱」に入れても「タラーリ、タラーリ」とはならないという。蝦蟇の分泌毒素センソの研究で学位をとった井川俊一氏(元大正製薬学術部長)は、実際に鏡張りの箱をつくり、刺激を加える実験を試みたが、油を絞ることはできなかったと話している。だが、蝦蟇を棒で突いたり、突然驚ろかしたりすると、目の上の小さな瘤のようなふくらみから牛乳みたいな汁が飛び出す。これが目に入ると失明するし、蝦蟇を噛んだ犬がもがき苦しんで死んだのを目撃した人は多い。センソはこの汁を固めたもので、毒性が強いだけに薬用としての効用も広いのは事実。このへんを混同すると話がおかしくなる。
蝦蟇の油の素であるセンソは、遠く奈良時代に中国から渡来し、正倉院御物の中にも医薬として残っている生薬だ。中国の河川や掘割には蝦蟇がたくさんいる。これを捕えて絞り、出た汁に糊を加えて固めたのがセンソ。最初は飴色をしているが、しだいに黒ずんできてカチカチに硬くなる。ものすごい収れん性があり、これに触れた手をなめようものなら舌の感覚がなくなって、喋ることさえできないそうだ。この収れん作用に注目し、蝦蟇の油に科学のメスを加えたのは。文化勲章も受けた故近藤平三郎らの薬学陣である。分析の結果、ガマの分泌する毒汁には塩酸エピレナミン、ブファリン、デスアセチルブホタリンなどのすばらしい医薬原料が含まれていることがわかった。
ブファリンにはコカインの九十倍も強力な局所麻酔作用があり、痛み止めには速効性がある。塩酸エピレナミンは血管収縮の作用があるので、止血や腫れを散らすのに重宝な薬。そしてデスアセチルブホタリンには強心作用がある。十数年も前になるが、薬理学の岡田正弘(元東京医歯大学長)や井川俊一らの″蝦蟇博士”グループが、蝦蟇の分泌物からレジブホゲニンという成分を抽出、新薬を発表して話題を投げた。一口にいえば呼吸興奮剤で、血圧を高め、心臓の働きを刺激するもの。仮死状態で生まれた新生児や交通事故の失神、麻酔の副作用として現われる呼吸障害などに、いまでも使っている。
序でながら『江戸の妙薬』の「蝦蟇の油」には上に「筑波で観光化する蝦蟇の油売り」(写真)と下に「長井兵助の大道売り(『江戸名物誌』)」が載せてありますが、『江戸名物誌』の長井兵助は居合抜きで人寄せをして歯磨き売ったもので、蝦蟇の油とは関係有りません。また、蝦蟇は四六が普通であることは確認していません。
ガマはオオバコを食べるわけではありませんが、オオバコと蛙には深い関係があります。
今の世児童がたはぶれに、蛙を打ころし、車前草の葉をおほうて、おんばこどのゝおんとぶらひと、呼はやしつゝ、もてきようずるに、見るまざかりに蛙いきかへりて、とびゆく事あり。こは蜻蛉日記中巻に、山ごもりの後は、あまがへるといふ名をつけられたりければかくものしけり。こなたざまならでは方もなどなげかしくて、「おほばこの、神のたすけやなかりけんちぎりしことをおもひかへるは。とあるを解環抄中の十二巻に、大原の神の誤とせしはひがことなり。萩原宗固が首書(かしらがき)に、おほばこは車前草か、和名於保波古(おほばこ)、今も童の蛙を殺して、其上に此草の葉おほひておけば、蛙のいきかへる戯事(たはぶれごと)をするにや。其事の神(しん)なるによりて、おほばこの神ともいへる歟。おもひかへるに、蛙をそへたる成べし。といへるがよろし。爾雅註疏八の巻、釈草に、芣苢馬舄、馮舄車前。註。今車前草。大葉長穂。好生道辺。江東呼為蝦蟆衣。疏。薬草也。(中略)
本草綱目十六の巻、隰草類下、車前の条に、蝦蟇喜蔵伏于下。故江東称為蝦蟆衣。(高田与清『擁書漫筆』文化十三年1816)
引用者註:芣苢=馬舄=車前=車前草=オオバコ
奈良や広島県でも、カエルが死にかけた時はオオバコの葉をかぶせると生き返るといい、長崎県壱岐島でも、カエルを半殺しにしてオオバコの葉を揉んでかぶせ、蘇生させる子供遊びがある。(鈴木棠三『日本俗信辞典 動物編』令和二年)
また、ガマの毒については
カエルの中で毒があるものというのは、意外にすくない。わが国の代表的な有毒ガエルは、ガマである。
ガマの毒は、後頭部の耳のところにある耳腺や皮膚にある分泌腺から出るので、ガマをいじったら、よく手を洗わなければならない。うっかり、そのまま目でもふこうものなら、目にしみて、ひどいことになる。このガマ毒は、ヘビやフグの毒にくらべれば、それほど強烈なものでなく、しかもガマは咬みはしないし、食用にするものでもないから、これまで死亡事故など聞いたことはない。それどころか、ガマ毒は古くから漢方薬の大切な材料であった。
強心、鎮痛、排毒などに効能があるという東洋の秘薬蟾酥(せんそ)は、ガマを痛めつけて耳腺から分泌される粘っこいガマの毒液を集め、これとウドン粉をこねて陰干しにしてつくったものである。内服薬としても外用でも、どちらに使ってもよい薬である。
さて、ガマの毒液は採取が容易だから、よく研究されている。ガマ毒の成分は二つあって、その一つは、ブフォテニンと呼ばれるアミンの毒で、これには幻覚作用がある。よく忍者小説などに、彼らが使う幻覚剤がでてくるが、児雷也のガマの話などと結びつけて考えてみると、ガマ毒の幻覚作用のことは、案外昔から知られていたのかもしれない。
もう一つのガマ毒成分は、ブフォタリンというステロイドで、弱った心臓の機能を回復させる強心作用をもった猛毒で、心臓の特効薬として有名な、ジギタリスの毒成分と、ほぼ同じものといえる。(大木幸介『毒物雑学事典』1984)
この他、口上に出て来る言葉からいくつか採りあげてみます。
「てれめんていか」「まんていか」
マンテイカ 名(ポルトガルmanteiga)イノシシやブタなどの脂肪。膏薬に加えたり、料理の揚げ油、機械のさび止めなどに用いたりする。(『日本国語大辞典』)
「てれめんていか」は辞書に載っていませんでしたが、似た言葉はありました。
テレメンティナ 「テレビンティナ」に同じ
テレビンティナ (テレビンチナ・テレビンチーナ)マツ科の植物から採取した樹脂。これを精製してテレビン油をとる。篤耨香。テレペンティン。テレメンティナ。(『日本国語大辞典』)
てれめんていな(ポルトガル語terebinthinaの訛)テレピン油。(『江戸語大辞典』)
てれめんていこ 下に「ちりめんちんこ」と続けていう。共に葡語ないし蘭語に擬した語で、芝口の呉服屋松坂屋で売った下締の意か。寛政三年・廬生夢魂其前日「唐土呉の丁固とやら、てれめんていことやらが」文化三年・小野*謔字尽妄書かなづかひ「てれめんていこちりめんちんこ てれめんハ芝口、ちりめんハ下〆」(『江戸語大辞典』)
『江戸語大辞典』には「てれめんていこ」を「芝口の呉服屋松坂屋で売った下締の意か」とありますが、菊岡沾凉の『続江戸砂子温故名跡志』巻之五(享保二十年1735刊)には薬としてあがっています。
衆人の急を救ふの名方良薬として龍脳丸以下多数を揚げる中に、
ちりめんていこ
てれめんていこ 芝口二丁目 大坂屋七郎兵衛
とあります。続いて目薬の部(歯薬を含む)、膏薬の部がありますから、目薬でも膏薬でもないことは分かりますが、どのような薬効があったのかは不明です。この名薬も明治を待たずになくなったようです。文化元年1804生まれ、慶応四年(明治に改元)1868歿の笠亭仙果は『於路加於比』に次のように書いています。
諸国より出る産物名高き佳品、古今のかはり多からねど、人工製造の名品には興廃常なくして、昔あり今失たるが少からず。名のみ残りて形勢だに知られずなり行もあんなるは惜むべき事なり。都会の地は流行最速にて、旧を疎み新に親しむは人情の常なれば、昨まで有し物今日は見えず。今日見えざりし物の明日出現るゝも亦常なり。芝のてれめんていこ、浅草の団十郎艾等、何れの年頃絶しにか、且団十郎煎餅、喜八団子等、浅草にては古き商物なりしが、近年あだし賈人の店となり、並木の亀屋奈良茶飯、特に両国の幾世餅は、宝永五年刊行しける、関東名残袂といふ草紙にも画き出し、いと久しく相続せし小松屋も、老樹となりて終に朽果。亀に万年の寿尽て、共に去年今年と烏有なりしは、惜しといふも余あり。(以下略)
因みに両国小松屋の幾世餅は落語「幾代餅」に出て来るあの幾世餅です。
また「三七二十一日の間、柳の小枝をもってトローリトロリ」については、思い出すことがあります。高校生だった時、化学の授業で講師の先生からこんな話を聞いた記憶があります。
この口上を考えた人はなかなかの物知りだ。この言葉は錬金術からきている。おそらく明治になってから出来た口上であろう。
というものです。何に基づくのか真偽の程はわかりませんが、蒸留をはじめ錬金術から生まれた化学技法はいろいろありますから、比較的低温での長時間加熱という蝦蟇の油の製造法は錬金術由来ということも有りそうには思われます。
ガマの油売りは江戸時代からあったと言われていますが、江戸時代のものでガマの油売りについて書いたものは、まだ見ていません。それ程知られていなかったのかもしれません。
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