落語の中の言葉243「真打ち」

 「中村仲蔵」や「淀五郎」など歌舞伎を題材にした咄をする時には、歌舞伎役者の階級について説明がなされます。その際に、落語家にも前座・二つ目・真打ちという階級があることが言われます。

『守貞謾稿』後集巻之二には、次のようにあります。
講談は専ら終始一人にて講じ終る。昔咄・落咄は三、五人交替して咄す。終りに咄す者を真を打つと云ひ、前にに咄すを前坐と云ふ。前坐は未熟、やうやく終りに至り名ある者なり。

 真打ちの語源について、公益社団法人落語芸術協会のホームページには、
真打ちの語源は諸説ありますが、昔の寄席の高座には、照明用に蝋燭が立っていて、寄席が終わると最後の出演者が蝋燭の芯を打つ(切って消すこと)ことをしたために「芯打ち」といわれ、縁起を担いで、字を「芯」から「真」に換え、「真打ち」となったといわれるのが一般的です。

とあります。落語でも同様の説明がなされることがあります。

一方、前田勇編『江戸語の辞典』には
真を打つ 寄席芸人用語。真は心、中心の意。一座の中心となって最後に出演する。打つは、演ずる、興行する意。慶応二年・鋳掛松序幕「これで場末へ行けば真を打ちます、円入と申す噺家でござります」

とあります。

 「蝋燭の芯を切る」という言葉は見かけますが、「蝋燭の芯を打つ」という言葉は見たことがありません。蝋燭の「芯を切る」のは蝋燭を消すためではなく、暗くなった炎を明るくするためのようです。

夜鷹である姉の弁に
「天をつり夜着とし、地を三つ蒲団とす。月影を以て燭台とすれば、あかりの届かぬ所もなく、しんをきる世話もなし。」(泥郎子『跖婦人伝』寛延二年1749序)

茶屋に居る馴染み客を花魁一行が迎えに来て、妓楼松田屋へ入り、直接花魁の座敷へ通された所に
「此うち廻し方、盃てうし持来り、らうそくのしんを切て行所、お定りの通。なかい吸物持来る。」云々 (山東京伝『総籬』天明七年1787刊)

小ごと上戸のところ
「ホンニいくぢのないやつぢや。コリヤコリヤらうそくのしんをきれ。扨も扨もぶきような。しんをきらせれば消おる。コレ誰ぞあかりを持てこい。早く早くチヨッやくにたゝぬ」云々 (式亭三馬『酩酊気質』文化三年1806刊)

 また川柳には

  蝋燭の真きる除夜のそばのはし   柳多留七三

次のような難解な句もあります。

  言ひふせる気でらうそくのしんを切  柳多留二

鈴木倉之助 校注
山椒説に「むづかしい掛合事…一方がとうとうと畳みかけて論じるのを、一方は一言も交へず、じっと今まで聞いて居たが、それ切りかと言はぬばかり、じろりと相手を見て、静かにらうそくの芯を切り、エヘンと一つ咳払い。」とある。他に適解がないので、山椒説に従っておく。 (『誹風柳多留二篇』教養文庫)

 まつたりとばかときせるでしんを切   柳多留六

粕谷宏紀 校注
トバク場で、今壺をあけようとする際、「ちょっと待て」と声をかけて、あかりを明るくしようと「ばか」と煙管を器用に使って、燃える蝋燭の芯を切るという場面である。

 ばか=銭を刺し貫く串。五十文・百文の高さの所に刻み目が入れてある。目串(めぐし)。(前田勇編『江戸語の辞典』)

 現在主に使われている蝋燭は西洋蝋燭ですが、江戸で使われていたのは今日言うところの「和蝋燭」です。西洋蝋燭と和蝋燭では、蝋燭本体の主原料が石油由来のパラフィンとハゼの実などの木蝋の違いの他に、その芯に違いがあります。西洋蝋燭の芯は木綿で、蝋とともに燃えてほとんど燃え滓は残りません。従って点火した後は何の手間もかかりません。一方和蝋燭の芯は、和紙と灯心(イ草の芯)と真綿で出来ていて、蝋は燃えて無くなっても芯は燃え滓として残ります。蝋が燃えて蝋燭は短くなっても芯の燃えかすは残りますから炎は長くなる代わりに暗くなるのではないかと思います。そこで適当な長さに芯を残してその上の燃えかす(火糞ほくそ)を「芯切りばさみ」などを使って切取る必要があります。残す芯をあまり短くすると「小ごと上戸」の小僧のように蝋燭を消してしまうことになります。
 落語の「夢金」では欲張り船頭の熊蔵が、酒手を催促するためにオベンチャラを言うところに、提灯が暗いようであれば、
  提灯の底を拳固で横に軽く叩く(三代目三遊亭金馬師匠)、
  拳固で下から軽くたたく(六代目三遊亭圓生師匠)、
と芯が落ちて明るくなるとあります。十代目金原亭馬生師匠は、
  灯りが暗くなったのは芯が伸びたからで提灯の底にある鐶に小指を入れて
  引っ張って二の腕を叩くと芯が落ちて明るくなる
としています。提灯に使う小さな蝋燭では芯切り鋏などを使わなくても済むのかも知れませんが、燭台に使う大きな蝋燭では芯切り鋏などが必要なようです。
 日本のあかり博物館『あかり』2004には次のようにあります。

ほくそ壺と芯切りばさみ
和ろうそくを上手に長時間灯すためには、時々燃え残った芯を取り除く作業をしなければならない。
 そのために燭台には、「芯切りばさみ」と呼ばれるものと、取り除いた燃えかすを入れる「ほくそ壺」がいつも側に置かれていた。
 座敷用など燭台によっては、芯切りばさみを掛ける部分やほくそ壺が取り付けられているものもある。

ほくそ壺.jpg
        日本のあかり博物館『あかり』2004 より

 川柳には次のようなものもあります。

  蝋燭を消すに男の息をかり     柳多留初編
  芯切りで禿は猫の髭を抜き     柳多留七五
  芯切りで鬮を切てるせいたやつ   柳多留八七
  しん切と毛抜ばさみは相支配    柳多留一四一

 西洋蝋燭は手で煽ったり息を吹きかけたりして簡単に消すことができますが、和蝋燭ではそうはいきません。吹き消すにはそれなりの肺活量が必要な上、溶けた蝋が飛び散る恐れがあります。それで芯切り鋏などが使われたようです。川柳で見ると芯切り鋏には鋏型と鑷(けぬき)型があったようです。
江戸時代の芯切りばさみの画は見つかりませんでしたので現在販売されているものを揚げます。
芯切り鋏松井.jpeg
      芯切りばさみの画 松井本和蝋燭工房HPより

灯心についても触れておきましょう。
灯心
イグサ科の、「イ」のなかごを引き出したもの。
 灯明皿やひょうそくで油をともす時、その毛細管作用によって油を吸い上げ、その先端を燃やしてあかりを採る。「トウシン」の他に、「トウスミ」や「トウシミ」などとも呼ばれている。
 江戸時代には、毎月甲子の日に灯心が商いされ、一般に長さ六寸に切って束ねたものが販売されていた。また現在でも、イ草から引き出したままの長いものを、茶席などで短檠をともす時や、和ろうそくの芯として使われている。灯心用のイ草や灯心引きの産地としては、茨木や奈良が知られている。(日本のあかり博物館『あかり』2004)

灯心.jpg
       灯心引きの道具と灯心の画 同書より

 「蝋燭の芯を打つ」が仮にこの芯切りの事であるとした場合には、前座・二つ目が高座を務める間に長くなった火糞を切取って明るくしたところで、トリの咄家が登場する。それで芯打ち(真打ち)という。ということにもなりましょうが、ちょっとムリがありますネ。

 最後に和蝋燭について少し紹介しておきましょう。

蝋燭.jpg
      和蝋燭の画 高橋幹夫『江戸の暮らし図鑑』1994より

大石・玉野井・中松他『和ろうそくの世界』(平成14年)は、明治以後、西洋蝋燭が和蝋燭に取って代わった理由として次の3点をあげています。
 一、価格の安さ 一、明るさの安定性 一、芯切りなどの手間不要

同書から蝋燭の製造工程を紹介します。灯芯という言葉を使っていますが蝋燭の芯のことです。
 和ろうそく作りはまず、灯芯作りから始まる。適当な長さの竹串に和紙を巻く。次にこの和紙の上に灯芯草のナカゴ(髄)を数本同時に使い先端から底端へとぐろを巻く様に巻いて行く。先端部は太く、下に行くほど細くなるように何本ものナカゴを組み合わせながら巻いて行く。さらにそれを固定する(ナカゴのほつれなどを留める)ために、真綿から引き出した繊維で、全体をからめて覆い縛る。竹串を抜いて出来上がり。

代表的な手掛け製法を一例として
 鍋にろうを溶かし、一度こす。適温(75~80°C)に保つ。
 灯芯を先の部分だけ、鍋に溶かしておいた蝋に浸けて乾かす。(口つけ)
 ろうを掛ける時のための竹串(あるいは棒)を芯に差す。(芯差し)
 芯に蝋をかけて馴染ませる。(振りつけ)
 左手の親指に溶かしたろうを塗る。この親指でろうを塗るので、その準備を する。 (指造り)
 右手で串ごと回転させながら、左手の上で左手の親指に作ったろうを塗り、
 乾かす。これを数回から数十回繰り返す(下掛け)
この下掛けが、手掛け製法の真骨頂であり、熟達した職人業を要求する。親指でなく、手のひら全休につけたろうの上を転がして掛ける方法や、手で包む様にして塗り付ける方法など、職人によって少し異なる。
 重さ、大きさ、形を整える。
 白ろうを塗る 1~3回(上掛け)
 串を抜いた後、温めた包丁を用いて、先端の芯を出す。(芯出し、芯きり、
 口切り)
 底部も同様に整える。(尻きり)


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