落語の中の言葉222「括猿」

 家紋としての括猿については72「家紋」で僅かに触れましたが、少し気になることがあります。というのは山東京伝の洒落本『傾城買四十八手』(寛政二年1790刊)のなかに、
〔女郎〕人にほれるのはきらひサ 〔ムスコ〕そんならわっちらにはなをだらうね 〔女郎〕ぬしにかへ(トかほをみてわらひ) 跡は申ンすめへ(トふとんのすみへつけしくゝりざるを、ひねくつてゐる)

とあり、これはオムニバスのうちの一つ「しつぽりとした手(客はむすこ。逢方はつき出し間のなき中三。尤も初会。」の一場面です。「つき出し間のなき中三」のあどけなさを表わすための京伝の演出ではないかと思いましたが、中野敏三氏の註には、「括り猿。布に綿を入れ、小さく猿の形に縫ったもの。蒲団の隅へくくりつけて、去る客をくくりとめる呪(まじな)いにする。」(新日本古典文学全集『洒落本・滑稽本・人情本』中「傾城買四十八手」の註)とあるからです。洒落本も少々見ていますが括猿を呪いとする例は、これ以外はまだ出合いません。同じ山東京伝の見立絵本『青楼和談 新造図彙』(天明九年1789自序)
 
新造図彙.jpg

  括猿 くゝりさる 此さるを 三ッふとんの はしへ付て まじなひとす
くらいです。
 そこでいくつか辞書で調べてみました。

○『大言海』
括猿 兒女ノ玩具。小サキ四角ナル布帛ニ、綿ヲ縫ヒ込ミ、四隅ヲ四足トシテ、一處ニ集メテ括リ、別ニ、綿ヲ縫込メタル圓キモノヲ、頭ニナゾラヘテ附ケテ、猿ノ形ヲ作る、粟島ノ神ニ供フ。又、五月五日ノ飾幟ノ下ノ端ニモツケテ、幟猿トモ云フ。

○『江戸語大辞典』
括猿 ①四角な切れに綿を縫い込め、猿が身体を丸めた形に作ったもの。寛政二年・傾城買四十八手「跡は申ンすめへ トふとんのすみへつけしくゝりざるを、ひねくつてゐる
②簪などの、括り猿の形に作った飾り。文化七年・浮世風呂二下「此頃は括猿の指込みが流行さうだのう」

括猿の形態に関する説明は省いて、それ以外の部分を他の辞書から引くと
○『広辞苑』
括猿 着物・幟などや絵馬堂に下げてお守りにしたり、念願の成就を祈ったりした。傾城買四十八手「ふとんのすみへつけし─を」

千疋猿 くくり猿を数多く糸で連ねたもの。女児の災難よけや芸能の上達などを祈るために鬼子母神・淡島明神などに捧げる。

○『日本国語大辞典』
括猿 五月五日の節句の飾幟の下の端につけ、幟猿ともいい、あるいは遊郭などで、客の足止めをするまじないなどともした。

以上をまとめると
  ①児女の玩具
  ②淡島(粟島)神・鬼子母神などの捧げ物にする
  ③端午の節句の幟に付ける
  ④着物に付けて守りにする
  ⑤遊女が布団に付けて呪いにする
  ⑥簪の飾りに付ける
となりましょう。玩具や飾りも「お守り」あるいは縁起物としての意味を持っていると思われます。ただ、遊女が布団に付けるのは『新造図彙』には「まじなひとす」とあるだけで、何の呪いなのかわかりません。中野敏三氏が「去る客をくくりとめる呪い」といい、『日本国語大辞典』が「客の足止めをするまじない」としているのは何に拠るのでしょうか。

括猿あるいは千疋猿の描かれたものをいくつかあげます。
端午幟&淡島.jpg
 左 端午幟  勝川春章「婦人風俗十二か月 端午」天明後期-寛政前期
 右 淡島願人 歌川豊国「踊彩客(形容)見立五節句・弥生」安政元年1854

内証括猿.jpg
 妓楼の内証 歌川豊国『絵本時世粧(いまようすがた)』下之巻 部分

背守り2種.jpg
 着物の背守り
 左(括猿) 三代豊国「江戸名所百人美女 溜いけ」安政五年1858
 右(結び文)芳虎「稚遊四季之内 春」天保後期

豊国「江戸名所 百人美女 溜いけ」に描かれた火鉢にかぶせた干し籠に置かれた着物について、千葉市美術館『浮世絵に描かれた子どもたち』展の図録には次のような解説があります。
小さな着物をよく見ると、背守りの括り猿と、十二針といわれる背縫いが見える。特に小さい子ども用の一つ身の背中に縫い目がない着物は、背中から病魔が入り易いとされ、このように母親が縫い目を入れたり、お守りを縫い付けたりした。この背縫いは、左に屈曲しているので男の子のためでる。

 また、参考出品の背守りのある着物の解説には
掲出の着物は、背中に縫い目(十二針縫うともいわれる)を付けた背守りで、男の子は向かって左に、女の子は右に曲がる。その他結び文や括り猿などを付けることもあった。(ともに解説は千葉市美術館学芸課長田辺昌子氏)

 なぜ猿は手足を括られているのか。客が去らないようにとの呪いであれば分かりますが、端午の幟猿や着物に付けるのはなぜでしょう。

吉野裕子氏は『十二支』のなかで、陰陽五行に基づいて次のように説明されています。

 1 奈良町の括り猿
 奈良市奈良町の庚申堂近くの家々の軒端には、不断に括り猿が吊るされていて、風もないのに微かに揺れている。この猿はその家の人の数だけ吊るされていて、それぞれの身の安全を守るものとされている。
 もし猿が本当に人を守るものならば、何でその手足をしばる必要があろうか。括り猿の本当の意味は、手足をしばって、その活動を全くおさえてしまうところにある。
 金気は五行の中で最強で不義を伐つことをその本性とする。あるいは春の「生」に対し、秋の「殺」の象徴で、万物を粛殺することをその本性とする。つまり、括り猿とは、猿を金気の精とみなし、その本性の殺気を抑制するための呪物なのである。従って、その扱いは、きわめて残酷で、まず猿の手足をしばってその自由を拘束し、その布も赤色、つまり火を象り、「火剋金」の理で、この猿をいためつけているのである。

産育民俗にみられる括り猿

 幼児は生気に溢れ、生長期にあるものなので、金気、即ち殺気を最も忌む。金気・殺気の象徴としての猿を括ることによって、子供の無事成長の呪術とした。猿の背守はその呪物である。

 陰陽五行説については、以下の説明がなされています。

相生(そうじょう)木火土金水の五気が順送りに相手を生み出して行くプラスの関係
    木生火、火生土、土生金、金生水、水生木
相剋(そうこく) 木火土金水の五気が順送りに相手を剋して行く、いわばマイナスの関係
    木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木

五行配当(一部のみをあげます)
  五 行    木    火    土    金    水
  五 色    青        黄    白    黒
  五 方    東    南   中 央   西    北
  五 時    春    夏   土 用   秋    冬
  十 干   甲 乙  丙 丁  戊 己  庚 辛  壬 癸
  十二支   寅卯  巳午  辰未戌丑    亥子
        註:太字は土用で土気。

 木火土金水の五気のうち、生命のあるのは木だけです。したがって木気は「生」を表わします。木気を強化するには木気とそれを生み出す水気を利用すること。また木気の敵(金剋木)である金気を押さえつけることです。猿(申)を金気の象徴としてその手足を縛り、さらに金気を剋殺する火気(火剋金)の赤を使って金気を抑え込む呪いというわけです。青色は木気を表わしているのでしょうか。
 勿論この理を知って行っているわけではないでしょう。かつて誰かが教えて始まったことが慣例となり、理由はわからないままお守りや呪いとして行われているものと思われます。古くから行われている祭事や民俗行事にはその本来の意味は忘れられたまま、伝統行事として、また当たり前のこととして行われているものも多いはずです。


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