落語の中の言葉221「鼠鳴き」
古今亭志ん朝「居残り佐平次」より
品川の女郎屋(飯盛り旅籠)では夕方になると若い衆が羽目板を叩いてチューチュー鼠鳴きをするという話が出て来ます。客が大勢来るようにとの呪いでしょう。
辞書では次のように説明されています。
ねずなき ①鼠が鳴くこと。また口をすぼめて鼠の鳴き声をまねること。鼠に似た鳴き声。②特に忍んできた男が女の許に近づいたときや、遊女などが客を呼び入れようとするときなどにする、鼠の鳴きまねをいう。ねずみなき。(『日本国語大辞典』)
ねずみなき(鼠鳴) 口をすぼめてチューチューと鼠の鳴きまねをすること。多く芸娼妓が客を招き入れる時、男との逢瀬を喜ぶ時、あるいは善き事あれと願う時などにする。ねずなき。(『江戸語大辞典』)
「鼠鳴き」という言葉を江戸時代のもので見かけたのは今のところ五件だけです。いずれも辞書の説明とは一致しません。以下にその五例をあげます。
○喜多村筠庭『嬉遊笑覧』文政十三年1816自序
『今物語』も『軽口噺』も女性の気を引こうとしてのことと思われます。
○山東京伝『青楼和談 新造図彙』天明九年1789(寛政元年)自序
『新造図彙』は『訓蒙図彙』のパロディの見立絵本です。全く別のものにちょっとした共通点を見つけて別の意味にするもので、ここでは吉原の新造等に関係するものにしています。「天文」の日、月、星は
物着星(ものきぼし) 此ほしつめの間にあらはるゝ時ハあと着のさうだんきまるもつともねずミなきをすべし
因みに『訓蒙図彙』(寛文六年1666刊)にある日月星は下図の通りです。
これは説明を聞かないとよく分かりません。
註 物着星
註 あと着
吉原の妓楼の年礼の仕着せは家により仕来りがあったようです。
註:おちせ 「もとは松ばやのさるおいらんのせわしんぞうなりしが、ねんあけののち、かねて久しいいろきやくにて、喜之介が女ぼうになりし也。」
傾城は面目をかけて跡着の立派さを争ったらしい。勿論その資金は客に出して貰うのですから、暮れになると盛んに文を出したようです。川柳ではこれを「暮れの文」と云っています。
暮の文何がどうでもよこせ也 誹風柳多留八
暮の文口やくそくをはたるなり 誹風柳多留二四
はたる(徴る)=督促する。責め立てる。
暮の文ほしくと留ぬ斗也 誹風柳多留六一
女性の文は「かしく」で留めることが多い。
図に添えられた文は、ものきぼしがあらわれると、跡着が出来る前触れと思って、きっと鼠鳴きをするに違いないという意味でしょう。
次の例はもっとハッキリしています。
○桜川慈悲成『屠蘇喜言』文政七年1824刊
この話は落語の「姫かたり」と同じです。どこかの御大名の姫君がお忍びで年の市で賑わう浅草観音へ参詣に来たと覚しき供廻り。ところが、急に持病の癪が差込み、観音近くの「よほどの金持医者」河井仙沢の家に乗物を着け、供士が応対に出た弟子に頼みたいことがあるので取次いでほしいと慌ただしく云う。
○為永春水『春告鳥』二編巻之四 天保八年1837
玉屋の全盛薄雲が惚れきっている客鳥雅を送り出した後、薄雲の部屋で仲のよい朋輩花魁花鳥と内所育(ひつこみ)新造のお袖の三人が話している場面に
二人が同じ言葉を一度に言うのは、吉兆とされていたらしい。
『新造図彙』『屠蘇喜言』『春告鳥』はいずれも吉兆あるいは望みの叶う感触を得た時に鼠鳴きをしています。
川柳にも
鼠啼きいい口うらを引いたやつ 誹風柳多留六五
というのがあります。口ぶりから本心を探り出すことを「口裏を引く」と云います。
最後は全く別で、
○笠亭仙果『於路加於比』 仙果は明治元年歿
以上五件だけですが、様々な場合に鼠鳴きをしたようです。
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品川の女郎屋(飯盛り旅籠)では夕方になると若い衆が羽目板を叩いてチューチュー鼠鳴きをするという話が出て来ます。客が大勢来るようにとの呪いでしょう。
辞書では次のように説明されています。
ねずなき ①鼠が鳴くこと。また口をすぼめて鼠の鳴き声をまねること。鼠に似た鳴き声。②特に忍んできた男が女の許に近づいたときや、遊女などが客を呼び入れようとするときなどにする、鼠の鳴きまねをいう。ねずみなき。(『日本国語大辞典』)
ねずみなき(鼠鳴) 口をすぼめてチューチューと鼠の鳴きまねをすること。多く芸娼妓が客を招き入れる時、男との逢瀬を喜ぶ時、あるいは善き事あれと願う時などにする。ねずなき。(『江戸語大辞典』)
「鼠鳴き」という言葉を江戸時代のもので見かけたのは今のところ五件だけです。いずれも辞書の説明とは一致しません。以下にその五例をあげます。
○喜多村筠庭『嬉遊笑覧』文政十三年1816自序
鼠鳴は『今物語』(信実朝臣)に、「ある殿上人かくれ居て、局におるゝ女房をのぞきたる処、此男何となくふしなからむもほいなくて、ねづなきをし出たりける。さきなる女房、ものおそろしや、蛍にも声のありけるよとて、つやつやさわぎたるけしきなく云々」見えたり。古くより有ける事也。『望一千句』、「誰ねづなきを身にしめにけん、約束はあまたの袖にわかれ人」。『俳諧埋木』、「ねづなきはいづれ格子に並び居て」。『軽口噺』に、「好色の若いもの二、三人日暮に門に立、ゆきゝの女房にわる口をいひ、ねづみ鳴などしける」。漢土にても是を淫姦不良の事になすとみゆ。云々
『今物語』も『軽口噺』も女性の気を引こうとしてのことと思われます。
○山東京伝『青楼和談 新造図彙』天明九年1789(寛政元年)自序
『新造図彙』は『訓蒙図彙』のパロディの見立絵本です。全く別のものにちょっとした共通点を見つけて別の意味にするもので、ここでは吉原の新造等に関係するものにしています。「天文」の日、月、星は
物着星(ものきぼし) 此ほしつめの間にあらはるゝ時ハあと着のさうだんきまるもつともねずミなきをすべし
因みに『訓蒙図彙』(寛文六年1666刊)にある日月星は下図の通りです。
これは説明を聞かないとよく分かりません。
註 物着星
婦人小児など、手指の爪に、白き小点あらはるゝを、ものきぼしととなへて、衣服作るべきしるし也といへり。是も格致鏡原に、物類相感志。人或爪甲上。生二白瑕一払払然。謂二之爪花一。得二服飾一之兆。俗人為レ験常無レ失とあり。(北 静廬『梅園日記』弘化二年1845刊)
註 あと着
傾城の礼は。むかしは元日なりしが。ちかきころより二日になり。家々の揃の仕着花をかざる。其中に禿は。けふ一日親方よりの木綿仕着をいやがりて。子心にふてたる㒵つきもおかしく。もの心しりたる禿は是を恥て。ほろほろ涙をこぼすももつとも也。其家の太夫を先にたて。部屋持新造二行にならび。若者遣手跡につらなる。女郎屋どし縁ある中は。遣手一人列をはづして。暖簾をあげておめでたふごさりんすといふも。しゃれ過ておかし。三日よりは傾城も禿もつゐの小袖。客よりのものずきにて。金銀をちりばめ。もよふの趣向をあらそひ。我おとらじと着かざる。是を跡着小袖といふ也。(時雨庵主人『百安楚飛(ひゃくあそび)』安永八年1778)
吉原の妓楼の年礼の仕着せは家により仕来りがあったようです。
〔しあん〕おちさん、おめへはよくしつてるだろう。大かなやの正月の仕着はなんだつけの。〔おちせ〕たしか地が黒で色入の花たてわき、角のつたやが鷹のもやうさ。わかなやが若松にかすみ、中あふみやが花ごうしでござりやす。鶴屋はぼたんのすそもやうの時もあり、ひぢりめんの無地の事もござりやす。角の玉屋はぼたんさ。松がねやがさくら川さ。松ばやの孔雀しぼりと、大ゑびやの鳳凰が、よくまちがひやしたつけ。〔ゑん〕あふぎやの十二ひとへ、丁子屋の若松にがくは、よく人がしつてる。(山東京伝『通言総籬』天明七年1787刊)
註:おちせ 「もとは松ばやのさるおいらんのせわしんぞうなりしが、ねんあけののち、かねて久しいいろきやくにて、喜之介が女ぼうになりし也。」
傾城は面目をかけて跡着の立派さを争ったらしい。勿論その資金は客に出して貰うのですから、暮れになると盛んに文を出したようです。川柳ではこれを「暮れの文」と云っています。
暮の文何がどうでもよこせ也 誹風柳多留八
暮の文口やくそくをはたるなり 誹風柳多留二四
はたる(徴る)=督促する。責め立てる。
暮の文ほしくと留ぬ斗也 誹風柳多留六一
女性の文は「かしく」で留めることが多い。
図に添えられた文は、ものきぼしがあらわれると、跡着が出来る前触れと思って、きっと鼠鳴きをするに違いないという意味でしょう。
次の例はもっとハッキリしています。
○桜川慈悲成『屠蘇喜言』文政七年1824刊
この話は落語の「姫かたり」と同じです。どこかの御大名の姫君がお忍びで年の市で賑わう浅草観音へ参詣に来たと覚しき供廻り。ところが、急に持病の癪が差込み、観音近くの「よほどの金持医者」河井仙沢の家に乗物を着け、供士が応対に出た弟子に頼みたいことがあるので取次いでほしいと慌ただしく云う。
弟子さつそく奥へ行き、此の由仙沢に、右かやうかやうと申せば、仙沢、いやしからざる供廻りのよし、ことに女乗物、何分またまた金もふけの入り来たるぞと、心によろこび、チウチウと鼠なきしながら、短き脇差引つかけて、弟子に案内させ、玄関に出で来たり、云々
○為永春水『春告鳥』二編巻之四 天保八年1837
玉屋の全盛薄雲が惚れきっている客鳥雅を送り出した後、薄雲の部屋で仲のよい朋輩花魁花鳥と内所育(ひつこみ)新造のお袖の三人が話している場面に
そで「アイサ松の内の前弾に、二タ月と三十日かゝりましたは。ホヽヽヽ うす「ヲホヽヽヽ 花「ホヽヽ うす・花二人「おかしいお袖さんだねヘ ト(ふたりがおなじことをいちどにいひしゆへ、うれしそふに) うす「ヲヤ待人チウチウチウ (花鳥もおなじく) 花「チウチウ ト(ねずみなきをする) そで「私ばッかり待人心なし 花「ヲヤ吉兵衛さんはヘ 云々
二人が同じ言葉を一度に言うのは、吉兆とされていたらしい。
『新造図彙』『屠蘇喜言』『春告鳥』はいずれも吉兆あるいは望みの叶う感触を得た時に鼠鳴きをしています。
川柳にも
鼠啼きいい口うらを引いたやつ 誹風柳多留六五
というのがあります。口ぶりから本心を探り出すことを「口裏を引く」と云います。
最後は全く別で、
○笠亭仙果『於路加於比』 仙果は明治元年歿
鼠鳴して消かゝる燈を挑(かか)ぐる習俗も、元禄、宝永の頃の好色本年男に出たり。
以上五件だけですが、様々な場合に鼠鳴きをしたようです。
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