落語の中の言葉202「信濃の善光寺」

        十代目桂文治「お血脈」より

 この咄は「信濃の善光寺」と「血脈の御印」が中心である。今回はこのうち「信濃の善光寺」を採り上げる。
 仏教伝来から善光寺建立までのことは、ほぼ善光寺縁起に沿っているが少し違うところもある。善光寺縁起のうち日本でのことを大まかに云うと、
  ○百済の聖明王から閻浮壇金の仏像(一光三尊の阿弥陀如来)が献上された
  ○欽明天皇が臣下に諮ったところ尊仏と廃仏に分かれたので、尊仏派の蘇我
   稲目に与えた。
  ○稲目は屋敷を堂(向原寺)に変えて安置した。
  ○そのうち国内に悪病が流行り、それを阿弥陀仏を祀ったせいと考えた廃仏
   派の物部尾輿は向原寺を焼き、仏像を難波堀江に投げ込んだ。
  ○しばらくして、信州麻績の本田善光が国司の供で都へ出た。帰国時に許可
   を受けて周辺を見物して帰る時に難波堀江を通りかかると阿弥陀仏が現
   れ、善光の背中に飛び付いた。
  ○昼は善光が阿弥陀仏を背負い、夜は阿弥陀仏が加護して信州麻績へ帰った
  ○善光は自宅の西廂間に臼を伏せてその上に祀った(元善光寺)。
  ○その後、阿弥陀仏の託宣に従って芋井(現在地長野)へ移った。

 善光は自分の意志で如来を背に負った訳では無く、取り付かれたのである。振り落とそうとしたが、「如付物不落」とある。又別の本では「うしろさまにちきかなくりて、ほりにうち入てにくる。またとひあかり、かたにとりつき給ふ」とある。

大田南畝『俗耳鼓吹』(天明八年1788自序)には 安永七年1778回向院での善光寺如来出開帳の時の川柳点として
    よしみつも初手は河童と思つて居
という川柳を載せている。
 尊像が善光の背中に取り付いたことと、しばしば託宣をしていることとは、善光が何者であったかを考える上での重要なポイントとなりそうである。それはさておき本題に戻る。

 善光寺へは何度か詣っているが、不思議の多いお寺である。本堂は巨大で木造建築としては奈良東大寺大仏殿、京都三十三間堂に次ぐ大きさであるという。屋根は一部が二重になっていて、屋根の広さでは大仏殿に次ぐという。

善光寺本堂.jpg


本堂平面図.jpg不思議① 檜皮葺の屋根
屋根は、多くの寺が瓦葺きであるのに善光寺は神社に多い檜皮葺である。

不思議② 本堂の奥行きが異常に長い
本堂の奥行きは間口の倍ほどもある。

不思議③ 端に寄っている本尊
本尊は堂の真ん中に祀られるのが普通であるが、善光寺では真ん中にあるのは「御三卿の間」で、本田善光、その妻とされる弥生御前、子の善佐の三像を祀る。本尊を安置する「瑠璃壇」は向かって左側(西側)にあり、「御三卿の間」より狭い。

不思議④ お戒壇巡り
善光寺ホームページには次のようにある。
お戒壇巡りは、秘仏の御本尊様の下を巡って、仏様の分身ともいえるお錠前に触れることによりまして、仏様と縁を結び極楽往生のお約束をいただき、私たちが本来持っている仏縁の種を大切に育ててゆくことを仏様にお誓いする「行」であります。

麻績(現飯田市)の元善光寺にもお戒壇巡りがあって、今は長野の善光寺と同様である。
御本堂外陣より、履物を履いたままでお戒壇巡りをお参りいただけます。お戒壇巡りとは、仏様の体内巡りともいい、暗闇の中を手探りで進み、御本尊様の真下に位置する「御錠前」に触れていただくことで仏様とより深いご縁を結んでいただくものになります。元善光寺のお戒壇巡りは無料でお参りいただけます。(元善光寺HP)

不思議⑤ 二人の住職
住職は天台宗の大勧進と浄土宗の大本願の二人おり、それぞれにお勤めをしている。そして大本願は皇室ゆかりの尼上人である。

不思議⑥ 善光寺式阿弥陀三尊像
本尊の善光寺如来は絶対秘仏で見ることは出来ないためその姿はわからない。本尊を写したとされる前立本尊も秘仏であるが、これは七年毎に開帳され、一光三尊形式の阿弥陀像といわれるもので、他の善光寺(新善光寺)も同じところから、秘仏も同じ形をしているものと思われている。阿弥陀三尊は阿弥陀如来を中心に観音・勢至の両菩薩を脇侍にする。釈迦三尊は文殊・普賢の両菩薩を脇侍にすることが多く、薬師如来は日光菩薩・月光菩薩である。善光寺如来は観音・勢至を脇侍にしているので阿弥陀三尊と云われているが、その中尊だけを見ると釈迦如来の如くである。
 これについて善光寺のHPでは次のように云っている。
善光寺の御本尊様の印相は特徴的であるといわれております。中央、阿弥陀仏の印相は、右手は手のひらを開き我々の方に向けた施無畏印、左手は下げて人差し指と中指を伸ばし他の指は曲げるという刀印です。これは法隆寺金堂の釈迦三尊像に代表される、飛鳥・白鳳時代頃の仏像に特徴的な印相です。左右の菩薩の印は梵篋印といい、胸の前で左の掌に右の掌を重ね合わせる珍しい印相をしています。その掌の中には真珠の薬箱があるといわれています。また、三尊像は蓮の花びらが散り終えて残った蕊が重なった臼型の蓮台に立っておられます。このような特徴を全て備えた一光三尊阿弥陀如来像を通称、善光寺式阿弥陀三尊像といっております。

 仏菩薩は手のかたち(手印)に特徴がある。阿弥陀如来は親指と人差し指(又は中指、薬指)を付ける。親指と人差し指を付けたものを上品、親指と中指を中品、親指と薬指を付けたものを下品といい、それぞれ腕の位置によって上生・中生・下生がある。合わせて九種類。上品の三種の図をあげる。ちなみに上品上生と上品下生がほとんどという。

阿弥陀の印.jpg

 一方、釈迦如来の立像は普通右手は施無畏印、左手は与願印(腕を下げ手の指を伸し掌を前に向ける)である。

善光寺如来は右手は施無畏印、左手は刀印というあまり見かけない印相をしている。善光寺のHPの云うように法隆寺には左手刀印の如来像がいくつか存在する。下にあげるのはその中で「止利派作品の規準作例として貴重」といわれる一光三尊形式の釈迦如来と左脇侍像である。右脇侍を欠く。光背裏面に「誓願敬造釈迦仏像」の文字を含む銘があるので釈迦如来である。
 阿弥陀如来の手印がはっきりするのは後のことのようである。古い時代の如来像は脇侍がないと釈迦か阿弥陀か区別出来ない。それでただ「如来像」と呼ばれているようである。
法隆寺釈迦如来.jpg


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