落語の中の言葉171「行燈・上」

       「化物使い」より

 一人住まいの御家人の隠居は人使いが荒く、奉公人が居着かない。辛抱強い杢介は三年勤めるが、化物が出ると噂されている家へ引っ越すと聞いて暇を願う。引越までは居てやると、引越も一人で行い、夕飯の仕度までして暗くなる頃逃げるように出て行く。隠居は食事を済ませ寝るには早いと行燈の火を掻き立てて書見をしていると、夜も更けた頃ゾクゾクと寒気がすると思うと一つ目小僧が現れる。いいところへ出て来たと食器を洗わせたりいろいろこき使う。次の日からは大入道が出たり、のっぺらぼうの女が出たりするが、これらはすべて狸が化けていたもので、その後狸のままの姿で出て来て暇を願う。「こう化物使いが荒くてはとても辛抱なりかねます。」

 行燈は燈油(ともしあぶら)を入れた皿状の器に灯心を浸し、油から引き出したところに点火して、炎を明かりとする。油とともに灯心も燃えて短くなり、炎が小さくなって暗くなった時、灯心を引き出して炎を大きくすることを「火を掻き立てる」という。
 江戸時代後期、江戸など都市部で使われた室内の照明は、燈油を使った燈台・行燈と蝋燭を使った燭台・ぼんぼり(雪洞)などであり、外出時は蝋燭を使った挑燈である。
 行燈と挑燈にはちょっとややこしい問題がある。

行燈は今云ちやうちん也、挑燈は今のあんどう也、いつの頃よりか、両方取違へて用ゆ、今さら改めがたかるべし、(喜多村香城『五月雨草紙』明治元年=慶応四年1868)
 鈴虫・松虫と同様入れ替わっているという。
また、行燈はその通りだが、挑燈は正しいという意見もある。
   ○行燈 挑燈
これ又或人の云く、行燈は座席にあれば字義かなはず。挑灯は他行の為なれば、是又字義かなはず。互に入れかへてよしといへり。えうなき空論なり。挑灯は後世のものなれば、論に及ばすといどへも、挑は字書に、往来(ゆきゝの)貌(かたち)ともあれば、さてありなん。行燈は、必、出行の時の物にて、座席の物にはあらず。座席は燈台なり。出行は行燈と松明となり。古書古画にあまたあり。今も茶人の路次行燈は古実の遺風なり。(斎藤彦麻呂『傍廂』嘉永六年1853自序)

 現在は挑の字に「往来(ゆきゝの)貌(かたち)」の意味を認めていない。『学研漢和大辞典』には次のように書かれている。
挑 解字 兆は、骨を焼いて占うとき、ぱんと割れめが生じたさまを描いた象形文字。割れて離れる意を含む。挑は「手+音符兆」の会意兼形声文字で、くっついているものを離すこと。ぴんとはねて離す意に用いる。
意味一①〈動〉いどむ ②〈動〉かかげる ③〈動〉えらぶ ④〈動〉になう 二〈動〉はねる

一古老の人の物語に、今の世に諸器の類様々あり。古より皆有事のやうに思へども左にはあらず。行燈などといふ物はあれども、今の如く蜘(くも)手を中に釣たるといふは近き事也。古は露路行燈の如く、底板に直に燈台を置たる物也。中に釣たるは、小堀遠州の丸行燈を仕出し玉ひしより事発り、角なるも中に釣事にはなれり。短檠(たんけい)は利休時代より有也。古へは皆燭台に土器を載たり。古代の絵に有が如し。(『二川随筆』)

 行燈について山東京伝が考証している。
   〔五〕行燈
行燈の始 詳ならず。〔下学集〕〔割註〕文安。」燈籠、行燈、挑燈」かくならべ出し、〔鎌倉年中行事〕〔割註〕享徳。」に、行列に続松(たいまつ)行燈を持せられたること見えたり。按るに、行燈は元家内にすゑ置物にあらず。続松は便あしきゆゑに、灯火(ともしび)におほひして風をふせぎ持ありく為に、造出(つくりいだ)したるものなるべし。 然(しかれば) 則 字義にもあへり。民家は端近(はしちか)く風はやきゆゑに、灯火におほひあるが便よければ、後に燈台にかへて用ひたるにやあらん。さて〔永正御撰何曾(なぞ)〕のうちに、御僧の寮に物わすれしたりといふを、あんどんと解(とく)何曾あり。御僧の寮は庵なり。物わすれは鈍(どん)なり。さればあんどんといふが古言なるべし。〔下学集〕に、行燈(あんどう)とかなをつけたるは後に上木(じやうぼく)したる時のしわざなるべし。貞徳の〔御傘〕にも行燈(あんどん)とかなをつけたり。
   〔玄峰集〕〔割註〕伏見鐘木町炬松(たいまつ)ふつて野辺を行もげに爰(ここ)もとの古風なるべし。」
    行燈で来る夜おくる夜五月雨(さつきあめ)     嵐 雪
かくいへれば、鐘木町ふるくは続松を用ひ、元禄の比は行燈にておくりむかひせしなるべし。〔翁草〕巻の五に云、古老の物語に、今の世にある調度、いにしへより皆ある事のやうに思へども左にあらず。行燈などゝいふものあれども、今の如く蜘手(くもで)を中(なか)に釣は近き事なり。昔は路次行燈の如く底板に、灯台(とうだい)を置たるを遠州といふ丸行燈いでき、それより角なる行燈にも灯台を中に釣事始れり云々、」此説の如く行燈の古製は、今茶人の用る廬地行燈といふ物を見て知るべし。其製作(つくりざま)持歩くに便よし。されば元家内にすゑ置ために造出したるものにはあらざるべし。〔遵生八牋〕に、有柄曰行燈。用以秉(とる)燭」とあり。唐土の行燈は此方の挑灯のたぐひなり。 (『骨董集』文化十年1827 中之巻)

   〔二十五〕行燈再考
行灯(あんどん)は、もと提ありく為に制(つく)れる物にて、家内にすゑおくは後の事なりといふ証を、又見いでゝしるす。
〔山伏道葬送行列次第〕〔割註〕杏花園蔵本。」といふ古き書に、「上略 次(つぎに)導師先達、次(つぎに)馬、次(つぎに)捧物(さゝげもの)、次(つぎに)左右行燈、次(つぎに)棺、云々。」〔無縁双紙〕巻四、 尊宿(そんしゆくの)荼毘之次第といへる条に、「一番幡四流僧持(そうもつ)。二番行灯四箇左右行者持(ぎようじやもつ)、云々。」〔割書〕これら室町家のころの葬式なるべし。〔鎌倉年中行事〕の行列に、続松一丁行灯ひとつもたせべし。とあるを、これらに合せ考ふれば、行灯は今のちゃうちんのごとく、提(さげ)ありきしにうたがひなし。」〔累解脱物語〕下巻 に、「いつのほどより集りけん。てん手に行灯ともしつれ、村中の者ども、稲麻竹葦と並居たるが、云々。」〔割書〕とあり。此物がたりは、元禄三年印本なり。そのころまでも田舎にては、もはら行灯をさげありきしなるべし。先板の巻に引る、嵐雪がしゆもく町の発句と同時なり。合せ考ふべし。」 (同書 下之巻(後))

  江戸時代は多く「あんどう」と呼んでいる。
  これまで様々な照明用具が出て来たが燈油を使うものと蝋燭を使うものに別けて図を揚げる。
*燈台と行燈(それぞれ様々なものがある)
 (燈台・短檠・長檠)
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燈台は「燈台元暗し」の燈台である。短檠と長檠は台に柱を付け、柱の途中に蜘蛛手を設けたもの。長檠は柱に溝があり蜘蛛手の位置を変えることが出来る。
 (遠州行燈・角行燈)
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角行燈は一面を上にあげたり、開いたりできるようにしている。遠州行燈は一部が回転でき裸火が見える様になっている。左の春信の絵で、立っている娘が火を掻き立てるのに使っているものは「かきたて」とも「灯芯押え」ともいう。金属製のほか陶製のものもある。灯心は二本を松葉形にして使っている。
行燈にも本体が金属製のものもある。
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 (有明行燈・露地行燈)
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有明行燈は木製の箱状のものをかぶせて暗くしたもので、一晩中点けておく。箱を台として普通の行燈として使うこともできる。露地行燈は底板に油皿を置く。

*燭台と雪洞(ぼんぼり)
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雪洞は燭台に風よけをしたもの。手で持ち歩くもの(手燭雪洞)もある。
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 行燈(灯し油)にしろ燭台(蝋燭)にしろ、かなり暗い。蝋燭といっても今日云う和蝋燭であって今普通に使う蝋燭ほど炎は安定しない。十四、五年前、東京電力の銀座館で行燈の明るさを体験できる催しがあるという新聞記事をみて、出かけたことがある。灯し油によるものではなくそれと同じ明るさの電球によるもので、少しくがっかりした。真っ暗でないというだけで、現代の人間にはあかりとも言えない程の暗さであった。長野県の小布施にある「日本のあかり博物館」には行燈・蝋燭・石油ランプ・白熱電球の明るさを比較体験できるコーナーがある。いずれも相当する明るさの電球による比較である。蝋燭は行燈に比べ明るいが、それでも現在の本は勿論新聞も見出しは読めるが本文を読むことはむずかしい。石油ランプになると格段に明るくて十分本も読める。
 現在の食用油(菜種油)とティシューペーパーを捻って作った代用灯心を使った明かりで縫い物と読書の実験をした結果を田中優子氏は次のように書かれている。(石川英輔・田中優子『大江戸生活体験事情』)
縫い物について
  集中力が増す
 そして意外なことに、実際に裸火にした行灯の光で各種の縫い物をしてみると、まったく不便に感じないばかりか、集中力が増しているのである。糸を針に通すには確かに眼をこらさなければならないが、それは電灯の下でも同じだ。次に着物の襟つけ、刺し子、ボタンつけなどをしてみる。ボタンつけや刺し子など、手許だけ見れば縫えるものはまったく問題がないばかりか、顔を火に近づけているので、いくらかその暖かさが伝わり、狭い範囲しか見えないために集中し、ほとんど〈三昧〉の境地になる。
 とても落ち着いて心地良い。ただし、眼に直接火の光を入れると非常に見にくい。眼は火からそらして、手許だけ見ている方がいい。また、襟つけや裁縫などは、手許を見ている時はいいが、全体を確かめようとすると少し困難だ。行灯の明かりの特徴は、とにかく範囲が狭いことなのだ。

そして読書については
 その点、読書は問題がない。いちばん明るい場所に読んでいる部分をもってくればいいので、案外苦痛を感じない。読書の場合も、明らかに集中力が増す。(中略)
   本や絵を見る
 私は、本物の浮世絵も版本もわずかしか持っていないが、それでも今の本と当時の本との違いが、行灯のもとで如実にわかった。版本あるいは板本とは、木版で印刷した書籍のことだ。
 まず、同じ浮世絵を見るにしても、今の洋紙を使ったオフセット印刷の浮世絵集を行灯で見ると、光ってしまってよく見えない。これは文字の本も同じで、洋紙は高価な紙であればあるほど光って読めないばかりでなく、絵の場合には、いかにも薄っぺらな印象になる。そしてもう一つ気づいたことは、洋紙は厚いのでめくるたびに風が起こって、行灯の火が大きく揺れることだ。これなど、実験しなければけっしてわからないだろう。
 和紙は非常に薄いので、版本をめくっても風は起こらない。常に静かな状態で本を見ることになる。そして、文字は、昔の版本の方がはるかに黒々としていて読みやすいこともわかった。今の本の写植や活字の文字は、細くて小さいのである。最初に行灯のもとで本を読んだ時は、長時間読んでいたら疲れるだろうなと思ったが、版本であったら、さほどでもなさそうな気がする。
 文字の墨色は非常にくっきりと見える。特に、墨の文字の線が太い往来物(寺子屋の教科書)や浄瑠璃本などは、はっきりと読める。挿し絵の線も、詳細に描かれていればいるほど、リアルに見えて面白い。行灯の下でゆっくりと一枚の挿し絵を見つくす。版本の挿し絵は、こんなふうに見ると楽しかったろうと、容易に想像することができた。

 行燈についていくつか気になることがある。一晩にどの位の量の油が要ったのか、幾らぐらいの金額になるのか、錦絵に行燈の火で煙草を点けているものがあるが、それは本当かなどである。ただ長くなるので次回まわしとする。

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