落語の中の言葉152「ちょき船」
八代目 桂 文楽「船徳」より
咄の中では「船」とだけ云っているが、初めて船に乗る人に対してただ手をとっているだけであること、船が廻った時、「立っちゃだめですよ」と徳さんが云っていることから、この船はちょきである。屋根船はすでに書いた通り船の中で立つことは出来ない。今回はちょき船をとりあげる。
まず『船鑑』(享和二年1802)に載せる屋根船とちょき船の図を揚げる。
凡そ 長さ 横幅
屋 根 船 二丈五六尺 六尺
ちょき船 二丈四五尺 四尺五六寸
ちょき船は屋根船にくらべ船の長さは4%ほど短いだけであるが、幅は約24%も狭い。その分船足は速いが不安定であろう。
しいの木をとびこすやうに猪牙は行 誹風柳多留十篇
国に無い船と店ものあぶながり 誹風柳多留七篇

咄のなかに煙草の火を付けるところがあるが、ちょき船の火は火縄だったようである。右は「たばこと塩の博物館」に展示されているものである。
二つ三つふつて火なわを猪牙へ入れ 誹風柳多留四篇
火縄は火縄箱の引出に挟んでいたようである。『客衆肝胆鏡』(山東京伝著、天明六年1786刊)から船宿の女将が火縄箱を提げている図を、又ちょき船に火縄箱を載せている図を『御膳手打 翁曾我』(振鷺亭著、寛政八年1796刊?)からあげる。


屋根船はちょきに比べ大きく、また簾という風除けもあるためか煙草盆を使うこともあったようである。
これで見ると火縄箱は本来は船頭個人のものだったように思える。火縄を挟むのに便利なところから火縄箱と呼ばれ、ちょき船の場合は半公的なものになったのであろうか。右の図は深川江戸資料館の古い展示解説書に載っていたもの。
木挽町から深川へ行くには火縄一本では足りなかった。天明四年自序の人情本『二日酔巵觶』には森田座の芝居見物のあと、木挽町四丁目の船宿松本屋から舟に乗り深川の土橋の河岸へ着いたところに
〔船頭茂兵衛〕今夜は強勢に船が着イたサアお上なせへし 〔客忠兵衛〕とんだ早くきた火縄が壱本半は立タなへ
とある。
また昔は吉原通いに編笠をかぶったが、ちょき船で山谷堀まで行くときは船宿で借りた。
船宿のほかに「編笠茶屋」もあり、そこでも借りたようである。借り賃は実質三十六文であった。
引用者註:「泥鰌太夫」
また吉原通いと深川通いではちょきの乗り様がちがっている。
ちょきに乗るのは普通は二三人であるが無理をすれば五人も乗れたらしい。
滑稽本『旧観帖』三編中之巻(文化七年1810刊)には馬喰町の宿屋に同宿した四人が案内人忠二に連れられて、両国の花火見物に行ったところに次のようにある。
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*追記
山東京伝の見立絵本に「青楼和談」と角書きの付いた『新造図彙』(天明九年1789自序)がある。『訓蒙図彙』に倣って天文・地理等項目に分けて青楼のことを書いているが、「衣食」の中に柏餅があり、次の図と文字がある。
吉原帰りの猪牙舟で火縄箱を枕に柏餅になって寝ている図であり、
「せい(青楼・蒸籠)にて 夜を ふか(更・蒸)したる もち也」の文字がある。吉原帰りの猪牙舟には火縄箱と布団が用意されていたようである。『客衆肝胆鏡』にある船宿の女将も火縄箱を提げて布団を背負っている。また『仕懸文庫』で火縄箱を「枕箱」と呼んでいるのも火縄箱を枕に使ったからであろう。
因みに左にある
四角鶏卵(しかくなたまご)
三十日の 月夜に まことある 女郎の くふもの也
は「女郎の誠と玉子の四角 有れば晦日に月が出る」という詞に基づいている。
咄の中では「船」とだけ云っているが、初めて船に乗る人に対してただ手をとっているだけであること、船が廻った時、「立っちゃだめですよ」と徳さんが云っていることから、この船はちょきである。屋根船はすでに書いた通り船の中で立つことは出来ない。今回はちょき船をとりあげる。
まず『船鑑』(享和二年1802)に載せる屋根船とちょき船の図を揚げる。
凡そ 長さ 横幅
屋 根 船 二丈五六尺 六尺
ちょき船 二丈四五尺 四尺五六寸
ちょき船は屋根船にくらべ船の長さは4%ほど短いだけであるが、幅は約24%も狭い。その分船足は速いが不安定であろう。
しいの木をとびこすやうに猪牙は行 誹風柳多留十篇
国に無い船と店ものあぶながり 誹風柳多留七篇

咄のなかに煙草の火を付けるところがあるが、ちょき船の火は火縄だったようである。右は「たばこと塩の博物館」に展示されているものである。
二つ三つふつて火なわを猪牙へ入れ 誹風柳多留四篇
[火縄売](かど口から)おや方、しめへだ、おいていきやしようか[舟宿河竹のていしゅ]まだあったよ、ぢいさんぬしも久しいものだのう。茶をのんでいきねへ。(此おやじはひとりで、ゑど中の舟宿をかぶにしてうりあるく) (『玉之帳』寛政頃?)
火縄は火縄箱の引出に挟んでいたようである。『客衆肝胆鏡』(山東京伝著、天明六年1786刊)から船宿の女将が火縄箱を提げている図を、又ちょき船に火縄箱を載せている図を『御膳手打 翁曾我』(振鷺亭著、寛政八年1796刊?)からあげる。


屋根船はちょきに比べ大きく、また簾という風除けもあるためか煙草盆を使うこともあったようである。
(船(屋根船)中のたばこぼんおくりの時、茶屋からかりて来しをすぐに入てきたりし也、火がきへる)〔せんどう久〕モシ、枕箱の引出しにほくちがござりやす 〔十郎〕ヲットしやうち(ト火なは箱のふかい引出しをあぐれば舟手がたとあたらしいろぐい(艪杭)が二本、四文せんが十五六もん、うち仙台通宝が一文有、ほくちをさがし出してうつ)こいつアいつこうだ 〔団三郎〕トレうつて上ケやしやう ……(山東京伝『仕懸文庫』寛政三年1791刊)
これで見ると火縄箱は本来は船頭個人のものだったように思える。火縄を挟むのに便利なところから火縄箱と呼ばれ、ちょき船の場合は半公的なものになったのであろうか。右の図は深川江戸資料館の古い展示解説書に載っていたもの。木挽町から深川へ行くには火縄一本では足りなかった。天明四年自序の人情本『二日酔巵觶』には森田座の芝居見物のあと、木挽町四丁目の船宿松本屋から舟に乗り深川の土橋の河岸へ着いたところに
〔船頭茂兵衛〕今夜は強勢に船が着イたサアお上なせへし 〔客忠兵衛〕とんだ早くきた火縄が壱本半は立タなへ
とある。
また昔は吉原通いに編笠をかぶったが、ちょき船で山谷堀まで行くときは船宿で借りた。
予か幼年の比は、猪牙船に乗る女郎買は、皆其船宿の家名を書たる編笠をかぶる、去に依て、宿々の店にはづらりと懸てあり、是は近き比迄ありしが、此ごろは見かけず、吉原も大門前に編笠茶屋ありて、遊客、是を着て里へ這入る事なりしといふ、(万象亭(森島中良)『反故籠』文化前半?(万象亭は文化五年歿、五十五歳))下図は『吉原恋の道引』(菱川師宣、延宝六年1678刊)のものである。ただしちょき船ではないようである。
船宿のほかに「編笠茶屋」もあり、そこでも借りたようである。借り賃は実質三十六文であった。
古は大門に編笠茶屋あり。〔割註〕近比まで一二軒ありしが今は見えず。」遊客編笠をかりて大門に入ることなり。編笠をかりるに銭百文を出してかり、帰路に是をかへせば六十四文返せしと言ふ事、浅草の奥山にみせを張し泥鰌太夫のいひしはなしなりき。是は今酒屋にて樽をかりて、樽代を出すが如くなるべし。かゝる事も音もなく乞食の家にはなし伝へたるもおかし。今はどぢやうも死して其跡をつぐものなし。
按ずるに、大門より入て編笠をかぶらざるは原富より始まれりとぞ、原富は御留守居与力の原富五郎後武太夫、三味線の名人なり。(大田南畝『金曾木』文化七年1810)
引用者註:「泥鰌太夫」泥 鰌
これも碁太平記白石噺につゞり入られたる、異名をどぢやうと呼びて、浅草寺観音の奥山うしろ堂の辺りに出て、浮世ものまね、落し咄しして興あるもの也けるが、実には前に出せし、よごれ太夫の二代目ともいふべき出たちにて、なりわひの様加わる事なし、(瀬川如皐『只今御笑草』文化九年1812自序)
また吉原通いと深川通いではちょきの乗り様がちがっている。
(お仲)気をつけて御らうじやし。深川通は吉原客とちがつて、猪牙に乗やうがちがひやす。ともの方をむいて、さかさまに乗りやす。これは船頭とはなしをするに勝手がいゝからさ。いそぐ時は二人船頭にするのさ。(山東京伝『古契三娼』天明七年1787刊)
ちょきに乗るのは普通は二三人であるが無理をすれば五人も乗れたらしい。
滑稽本『旧観帖』三編中之巻(文化七年1810刊)には馬喰町の宿屋に同宿した四人が案内人忠二に連れられて、両国の花火見物に行ったところに次のようにある。
忠二はみなみな引きつれ、柳ばしのふなやどへきたり 忠二「にたりかさんてふか一艘できやせうかネ」トきく 船宿はりまや「今夜は出はらひましたが、猪牙ならこしらへてあげやせう」忠二「五人はちつとむりだが、みなさんちょきでもようごぜへやすか」
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*追記
山東京伝の見立絵本に「青楼和談」と角書きの付いた『新造図彙』(天明九年1789自序)がある。『訓蒙図彙』に倣って天文・地理等項目に分けて青楼のことを書いているが、「衣食」の中に柏餅があり、次の図と文字がある。
吉原帰りの猪牙舟で火縄箱を枕に柏餅になって寝ている図であり、
「せい(青楼・蒸籠)にて 夜を ふか(更・蒸)したる もち也」の文字がある。吉原帰りの猪牙舟には火縄箱と布団が用意されていたようである。『客衆肝胆鏡』にある船宿の女将も火縄箱を提げて布団を背負っている。また『仕懸文庫』で火縄箱を「枕箱」と呼んでいるのも火縄箱を枕に使ったからであろう。
因みに左にある
四角鶏卵(しかくなたまご)
三十日の 月夜に まことある 女郎の くふもの也
は「女郎の誠と玉子の四角 有れば晦日に月が出る」という詞に基づいている。


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