落語の中の言葉139「呉服屋」

          五代目古今亭志ん生「百年目」より

 呉服屋は落語にはあまり登場しない。主人公が熊さんや八つアんなど裏長屋の住人であるから呉服屋にはあまり縁が無い。利用するのは古着屋である。志ん生師匠は咄の枕で呉服屋では客に分からない言葉を使うことを云っている。商売によってそれぞれ隠語や符牒があるが、呉服屋のそれは目立ったらしい。

    ごふく見せ何やらいふと持て来る   誹風柳多留第六篇

油井宏子『江戸奉公人の心得帖』によると白木屋文書(白木屋日本橋店(だな)に関する文書群)にある隠語には次のものがあった。

 丸屋=お酒、仙の字・仙印=食事、玉へん=現金、キ印=回収不能、徳蔵=蔵でさぼっていること、屋印=休暇日・外出許可日、テ印・手印・テの字=白木屋

 ついでに江戸の呉服屋について面白いと思うことをいくつかあげる。

①やかましいくらい賑やか
   ごふく屋はのぞいて見てもらんがしい  誹風柳多留第七篇
   うろつけばなでなでといふごふく店   誹風柳多留第九篇

  何でございましょうという意味で「なンでなンで」と云ったらしい。

白木屋の店定法「永録」には、売場担当者は賑々しくすべしとある。
一 多少ニ不限物買衆至極大切に致し可申候、たとへ少分之品御調へ被成候とも人相よく念比ニ挨拶致可申候、(表売ば衆)随分声を掛、賑々鋪可致候
猶々御茶御たばこ之事、無失念様之事

②販売担当者の名前を紙に書いて張り出す
  手代まで紙つきにするごふく店      誹風柳多留第七篇
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③雨には貸傘、高額の買い物客には食事サービス
   ごふく屋をさゝずに出るは雨やどり   誹風柳多留第七篇

   ごふく屋のめし安がねでくゑぬ也    誹風柳多留第七篇
   盗人にあつて三井のめしを喰ひ     誹風柳多留第十篇

(文政十一年十一月)十一日丁未 曇 八時比ヨリ雨 夜ニ入小雨
一予、四時前より出宅、大伝馬町大丸江かひ物ニ罷越、同店ニて昼食ふる舞れ、八時過帰宅。途中大雨ニ成候ニ付、昌平橋外茶店ニ休息。尤、大丸ニて傘借用、かひ取候物ハ預置、明朝差越候様、手代甚三郎ニ申付おく。  (『曲亭馬琴日記』第一巻)

 馬琴はたいてい大丸で買っているようで時々食事をしている。買物の金額はほとんど書かれていない。天保三年五月廿六日にも食事を振る舞われているが、この時は翌日書付けを計算すると金額が間違っていて過払い分を返してもらっている。そこには金額が書かれている。反物類十一品で金弐両弐分弐朱である。(『曲亭馬琴日記』第三巻)

④店によっては呉服類以外にいろいろな物を売っていたらしい
  餅花が有るかと白木わらはせる    誹風柳多留第十篇

  白木屋ならひょっとして目黒不動名物の餅花も売っているのではないかと思われるほどいろいろなものを売っていたらしい。さすがの白木屋も餅花までは売っていなかったが。

  餅花は目黒不動の土産物であり、また目黒不動参詣は品川宿での遊びの口実によく使われた。

目黒不動堂
門前五、六町が間、左右貨食店(あきないみせ)軒端をつどへて詣人をいこはしむ。粟餅・飴、および餅花の類を鬻(ひさ)ぐ家多し。  (『江戸名所図会』巻之三)

  前立を目黒かへりの見てあるき   誹風柳多留第七篇
  餅花の下向東海道を来る      誹風柳多留第八篇
  不動さまかへと初会をついて見る  誹風柳多留第八篇

白木屋は古来九尺店にて、小間物問屋也。きせる多く仕込て利を得たり。(『我衣』巻之一)

  『白木屋三百年史』によると小さな小間物店からはじめて扱い商品を増やしていったようである。
寛文二年(1662)日本橋通二丁目に間口一間半のささやかな小間物店を出す。
寛文五年(1665)通一丁目へ店を移す。紙入地に用いる裂地類を売り出す。
寛文八年(1668)初めて羽二重地を発売。
延宝六年(1678)縮緬・毛氈・紗・綾などを売り出す。
延宝七年(1679)木綿を売り出す。
天和元年(1681)木綿羽織地、並びに着尺麻上下など仕入。
貞享元年(1684)太物を拡張
貞享三年(1686)郡内縞売り出す。

残念ながら食べ物など雑多なものを売っていたという記載は見つからなかった。
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