落語の中の言葉101「親子は一世、夫婦は二世」
五代目古今亭志ん生「三年目」より
志ん生師匠は噺のまくらで「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男はヨセ」という言葉を使っている。「間男はヨセ」は語呂合わせの洒落であるが、「親子は一世」「夫婦は二世」「主従は三世」という言葉は古くからあり、その意味は一般に次のように言われている。
「親子は一世」 親子の関係はこの世かぎりのものであるということ。夫婦関係(二世)、主従(師弟)関係(三世)にくらべて、結びつきが弱いとする考え方をいう。
「夫婦は二世」 夫婦の関係はこの世ばかりでなく来世までもつながるということ。
「主従は三世」 主人と家来の関係は、現在はもとより過去・未来にも深い因縁がある。「親子は一世」「夫婦は二世」に対して言う。(小学館『故事・俗信 ことわざ大辞典』)
「親は一世、師は三世」ということわざもある。
次の世でもまた夫婦になりたいと思う幸せな夫婦もあろうから「親子は一世、夫婦は二世」まではわからなくはないが、「主従は三世」が腑に落ちない。
これに対して、「封建社会で支配者が主従の従属関係を強調し、浸透させるための観念から生まれたことばとも考えられる」、あるいは「血縁関係より、愛情や信頼で結ばれた関係のほうが結びつきが強い」ということを表現した言葉とする解釈もあるが、いずれも肯けない。後者は現代の解釈であって少なくとも江戸時代のものではないであろう。
十三世紀終わりから十四世紀初めに成立したといわれる童子教(一説には平安時代の僧の作ともいう)には
一日師不疎 況数年師哉 一日の師を疎〔おろそ〕かにせず
況〔いはん〕や数年の師をや
師者三世契 親者一世眤 師は三世の契り 親は一世の眤〔むつび〕
弟子去七尺 師影不可𨂻 弟子七尺を去つて 師の影を踏むべからず
とある。『日本国語大辞典』は「親子は一世」の項の用例として保元物語(1220頃か)下・義朝幼少の弟悉く失はるる事「親子は一世の契りと申せども、来世は必ずひとつの蓮に参り会ふやうに御念仏候ふべし」をあげているから、「親は一世」「師は三世」はすでに鎌倉時代から使われていた。因みに『日本国語大辞典』が「夫婦は二世」の用例としてあげている一番古いものは、御伽草子・御曹子島渡(室町本)「ふう婦は二世の契ぞかし」である。
江戸時代の為政者にとって重要なのは「親に孝」と「君に忠」であったと思われる。それは主殺しや親殺しが一般の殺人よりずっと重く罰せられたことでもわかる。
○御定書百箇条 七十一条人殺幷疵附御仕置之事
一主殺 二日晒一日引廻鋸挽之上磔
一親殺 引廻之上磔
一師匠を殺候もの 磔
一舅伯父伯母兄姉を殺候もの 引廻之上獄門
一人を殺候もの 下手人
「下手人」は斬首による死刑の一つ。「十両盗むと首がとぶ」で述べたのでここでは繰り返さない。
単純な夫殺し・妻殺しの条文は無い。
ただし、四十八条密通御仕置之事に
一密夫いたし。実之夫を殺候女 引廻之上磔
とあるが、これは密通の罪の上に人殺しの罪が加わったものである。
御定書百箇条が作られたのは寛保二年(1742)で、その四十年程前の「御仕置裁許帳」に載っている例では夫殺し、妻殺しともに「死罪」となっている。
刑罰の重い順からいうと、主人・親・師匠・目上の親族・夫婦である。主や親に比べれば軽視された夫婦関係が親子と主従の間に入っているのは不可解である。この三者は重要性や関係の深さの順に並べているとは考えにくい。
全く別の意味に解する人もいる。
言葉が難しく分かりにくいが、石上宣続は「世」は仏教の「前世・現世・後世」の「世」ではなく、漢字本来の「世」(「代」と共通する意味)であると考えている。
角川漢和中辞典には「世」「代」について次のようにある。
「世」
解字:〔十の字を三つ横に並べて、一番左の十の縦棒を横に引きのばした形〕が古い字形で、もと三十の意。転じて三十年を意味し、また一代の意となった。
意味:①よ。代々。②人のよ。このよ。③人の一生涯。④とき。時節。⑤とし(歳)。⑥三十年を一世とする。⑦子が父のあとを受け継いで自分の子に受け渡すまでの間。一代。⑧一王朝の時代。⑨のちの時代
「代」
解字:弋(ヨク)が音を表わす。弋の音が転じてタイとなった。タイの音はかわる(替)意をもつ。
意味:①かわる。なりかわる。②かわるがわる。③よ。時世。④人の一生。
石上宣続は入れ替えること・取り替えることができるかどうかの区別と解しているようである。親子は取り替えることが出来ないものであり一代限りの物であるから一世。夫婦はつま(夫、妻)を取り替えることができるから一世ではなく二世。師は夫婦以上に取替が可能であるばかりか望ましいものであるから三世だという。自分の技量が上達しあるいは見識が深まれば、さらに上を目指して新たに師を求めることはむしろ望ましいことかもしれない。確かに「師は三世」については筋が通る。しかし「主従は三世」には当てはまらない。渡り仲間や渡り職人のように次々と主や親方を替えることは非難されないまでも好ましくは思われなかったであろう。
結局、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」という言葉は不可解というほかはない。
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志ん生師匠は噺のまくらで「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世、間男はヨセ」という言葉を使っている。「間男はヨセ」は語呂合わせの洒落であるが、「親子は一世」「夫婦は二世」「主従は三世」という言葉は古くからあり、その意味は一般に次のように言われている。
「親子は一世」 親子の関係はこの世かぎりのものであるということ。夫婦関係(二世)、主従(師弟)関係(三世)にくらべて、結びつきが弱いとする考え方をいう。
「夫婦は二世」 夫婦の関係はこの世ばかりでなく来世までもつながるということ。
「主従は三世」 主人と家来の関係は、現在はもとより過去・未来にも深い因縁がある。「親子は一世」「夫婦は二世」に対して言う。(小学館『故事・俗信 ことわざ大辞典』)
「親は一世、師は三世」ということわざもある。
次の世でもまた夫婦になりたいと思う幸せな夫婦もあろうから「親子は一世、夫婦は二世」まではわからなくはないが、「主従は三世」が腑に落ちない。
これに対して、「封建社会で支配者が主従の従属関係を強調し、浸透させるための観念から生まれたことばとも考えられる」、あるいは「血縁関係より、愛情や信頼で結ばれた関係のほうが結びつきが強い」ということを表現した言葉とする解釈もあるが、いずれも肯けない。後者は現代の解釈であって少なくとも江戸時代のものではないであろう。
十三世紀終わりから十四世紀初めに成立したといわれる童子教(一説には平安時代の僧の作ともいう)には
一日師不疎 況数年師哉 一日の師を疎〔おろそ〕かにせず
況〔いはん〕や数年の師をや
師者三世契 親者一世眤 師は三世の契り 親は一世の眤〔むつび〕
弟子去七尺 師影不可𨂻 弟子七尺を去つて 師の影を踏むべからず
とある。『日本国語大辞典』は「親子は一世」の項の用例として保元物語(1220頃か)下・義朝幼少の弟悉く失はるる事「親子は一世の契りと申せども、来世は必ずひとつの蓮に参り会ふやうに御念仏候ふべし」をあげているから、「親は一世」「師は三世」はすでに鎌倉時代から使われていた。因みに『日本国語大辞典』が「夫婦は二世」の用例としてあげている一番古いものは、御伽草子・御曹子島渡(室町本)「ふう婦は二世の契ぞかし」である。
江戸時代の為政者にとって重要なのは「親に孝」と「君に忠」であったと思われる。それは主殺しや親殺しが一般の殺人よりずっと重く罰せられたことでもわかる。
○御定書百箇条 七十一条人殺幷疵附御仕置之事
一主殺 二日晒一日引廻鋸挽之上磔
一親殺 引廻之上磔
一師匠を殺候もの 磔
一舅伯父伯母兄姉を殺候もの 引廻之上獄門
一人を殺候もの 下手人
「下手人」は斬首による死刑の一つ。「十両盗むと首がとぶ」で述べたのでここでは繰り返さない。
単純な夫殺し・妻殺しの条文は無い。
ただし、四十八条密通御仕置之事に
一密夫いたし。実之夫を殺候女 引廻之上磔
とあるが、これは密通の罪の上に人殺しの罪が加わったものである。
御定書百箇条が作られたのは寛保二年(1742)で、その四十年程前の「御仕置裁許帳」に載っている例では夫殺し、妻殺しともに「死罪」となっている。
刑罰の重い順からいうと、主人・親・師匠・目上の親族・夫婦である。主や親に比べれば軽視された夫婦関係が親子と主従の間に入っているのは不可解である。この三者は重要性や関係の深さの順に並べているとは考えにくい。
全く別の意味に解する人もいる。
親子は一世、夫婦は二世と云事、世の字を仏者の語に泥みて、世々生々の世として、今生に命を尽し終ば、来世に於てまた夫婦と成り、師弟と成るを得ると思ひ、愛念を後世にひかれ、執着を黄泉に拽〔ひく〕者あり、誠に愚の至り也、夫〔それ〕世の字は古今韻会に、始制の切、音勢にして、王者より姓を易、命を受るを一世とし、又父に相代るを一世とす、と云へり、然る時は、父死して其嫡子立を云字にして、委しく云へば、嫡を相承の義あり、爰の心は代の字の義を誤りたる歟、代は度帝の切音迨也、世也、更也、替也と訓じて、家を嗣に、他生の子を以て、廃せんとする家を立るを云、此故に代は世の訓有、父母は人の天地に一度生じて此身長ず、父母死して又父母無し、所以如何となれば、子たる者、身一度生じて、天の命ぜる寿算尽ざる内、又改め生れん事を欲すとも得べからず、此故を以て、親子が只一世のみにして、又父母を改め設けんと云事能はず、○夫婦の交りと云、夫死して其妻再嫁せざる者を貞とすといへども、又改め嫁するの例、和漢尤多し、妻死して再婚を為は、夫に於て恥とせず、猶事ありて、生ながら妻を改る者あり、此心を以て、夫婦は二世と云也、世は代也、二たび迎たるを后妻といへども、恩愛の情さらに更る事有べからず、是始の妻、事ありて離別し、病で死去の跡に、又他家の女子を代て、以て妻とするに恥とせざるの義也、
○又師と弟との交りも亦同じ、人心糸のごとく紛れ、思慮林のごとく分る、此故に、各其好む所も、又階有て、儒に泥むあり、仏に染むあり、道を求め、術を学び、馬を御し、弓を射、千端万緒なり、皆学舎を開き、門生を率て、芳誉を八荒に播さんとするの師あれば、弟子又同じき心有て、各其所レ好に従て道を励み勤たるが、中に麁細あり、麁者は学ぶ道をさへ委しく窺んとせず、細成る者は学に道を執志し、日夜に窺て淵源を尽す而己か、猶発明する処有を以て、弥此道を潤色し、是非を弁ぜん事を思ひ、且吾痒序を開かんに於て、先哲の未だ説ざるの拠経〔ママ〕たる名誉をも発せばやの心にて、他の一両家に趨進して、吾道を潤色するに便りあらん事を願ひて、師の礼を行ひ、弟の礼を以て、百家衆伎の学を慕て不レ止あり、如レ此して、師を尋ね、道を求めて止ざるを、人聞て謗らず、譏らざるは何ぞ、多能は君子も恥ざる所也と云へり、されば、師有上へに師を求め、学ぶが上へに常を執するは、人の尊しとする所也、是を指て三世と云、三世といへばとて、師を求る事三人に不レ過といふには非ず、一二を生じ、二三を生じ、三万物を生ずるの儀にして、三は多きの義也、今の俗此心を知らず、当所の理に暗くして、徒に縦と云横と説て、死後に魂魄又湊て又師弟とし、夫婦と成といふの弁を附会し、貴となく賤となく、是を書に記し、清談格言と思ひあへり、世の愚を学ぶ事、人中以下の説話皆是等の義也、
(石上宣続『卯花園漫録』巻之一 文化六年(1809)自序)
言葉が難しく分かりにくいが、石上宣続は「世」は仏教の「前世・現世・後世」の「世」ではなく、漢字本来の「世」(「代」と共通する意味)であると考えている。
角川漢和中辞典には「世」「代」について次のようにある。
「世」
解字:〔十の字を三つ横に並べて、一番左の十の縦棒を横に引きのばした形〕が古い字形で、もと三十の意。転じて三十年を意味し、また一代の意となった。
意味:①よ。代々。②人のよ。このよ。③人の一生涯。④とき。時節。⑤とし(歳)。⑥三十年を一世とする。⑦子が父のあとを受け継いで自分の子に受け渡すまでの間。一代。⑧一王朝の時代。⑨のちの時代
「代」
解字:弋(ヨク)が音を表わす。弋の音が転じてタイとなった。タイの音はかわる(替)意をもつ。
意味:①かわる。なりかわる。②かわるがわる。③よ。時世。④人の一生。
石上宣続は入れ替えること・取り替えることができるかどうかの区別と解しているようである。親子は取り替えることが出来ないものであり一代限りの物であるから一世。夫婦はつま(夫、妻)を取り替えることができるから一世ではなく二世。師は夫婦以上に取替が可能であるばかりか望ましいものであるから三世だという。自分の技量が上達しあるいは見識が深まれば、さらに上を目指して新たに師を求めることはむしろ望ましいことかもしれない。確かに「師は三世」については筋が通る。しかし「主従は三世」には当てはまらない。渡り仲間や渡り職人のように次々と主や親方を替えることは非難されないまでも好ましくは思われなかったであろう。
結局、「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」という言葉は不可解というほかはない。
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