落語の中の言葉93「火の番小屋」

        十代目金原亭馬生「二番煎じ」より

 咄の舞台である「火の番小屋」とはいかなるものだったのであろうか。江戸の町方にあった番小屋として「守貞謾稿」は自身番屋と木戸番屋の二つをあげている。
 自身番 毎町阡陌〔せんぱく〕にあり。広さ九尺に二間を定制とすれども、今は庇に矯〔ま〕げて二間に三間ばかりもあり、毎町大同小異なり。
 自身番は、町内家主常に交代にしてこれを衛〔まも〕る。また事ある時、会合してこれを議す。また官の下吏追捕の罪人、まづこゝに繋ぎて罪状を問ひ、すべて公用・町用の場とするの設、すなはち京坂と(の)会所に同意なれども、会所は民居を軒を比してこれを設け、自身番は専ら阡陌に造る。
 右の自身番に書役と云ふ者一人あり。すなはち大坂の会所守に比すべき者なり。自身番書役とも自身番親方とも云ふ。地主中より年給を与ふ(引用者註、給金は町入用から出され、地主が直接払うわけではない)。また自身番に専ら居るといへども、別に自宅は裏店等にありて妻子を置く。
 右の書役は訴訟の時これに供せず。たまたま家主障あり、あるひは名主無人の時はこれに代りて出庁す。
 番小屋 これまた専ら阡陌にあり。これを衛る夫を番人、あるひはばんたと云ふ。俗には番太郎と云ふ。多く北国産の人多し。
 御成あること、その他府命あること、あるひは水道普請水切れのこと、御免勧化来るべきこと等は、鉄棒を引きて町中にこれを報せ、夜は拍子木を打ちて六時を報じ、その他すべて町内の雑務を職とす。
 この番屋、広さ九尺に一間を定制とすといへども、庇に矯て九尺二間ばかりなること自身番と同じ。けだし番人は私宅別にこれなく、皆妻子とも番小屋に住みて、飯もこゝに炊きて食すなり
 またこの番小屋にて草履・草鞋・箒の類ひ、鼻紙・蝋燭・瓦・火鉢の類〔を売る〕。これに拠り草履・草鞋は店にて売る者はなはだ稀なり。
 また冬は焼いも、薩摩芋を丸焼にし、夏は金魚等をも売る。また常に麁菓子一つ価四文なる物を売る。故に江戸の俗、麁菓子を号して番太郎菓子と云ふ。京坂に云ふ駄菓子なり。(『守貞謾稿』巻之四)

そして次の図をあげている。巻之三には「今世江戸市井の図」があり自身番所と番人小屋が描かれている。
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 大伝馬町のことを主に書いた『そらおぼえ』には次のように書かれている。
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木戸 町々壱丁毎とに、町の入口に有りしなり(右図)、夜四ツ時より〆切り(今の午後十時也)、朝は六ツ時より開らく(今の午前六時也)、夜中は小木戸より通行す、木戸の間口、大凡弐間位なりし、両びらき、小木戸は大木戸に添ふて付より、凡四尺位片びらき、夜中通行す、木戸番人是を守る、
自身番や 地主・町役人(俗に、家主又は大屋さんと云、今の差配人の類也)書役(むかしは町代と言ひし也)定番人、消防鳶人足等の詰所にして、公用、町用等、町内中の役所なり、火之見、半鐘を設けたるも有り、消防の世話番、順番を以て、消防道具を備ふる事あり、春夏は多く火之番御免となりて、月番、家主、書役、定番人のみ詰る、
町入用勘定、人別、店連判等も、多く此所にて弁ず、
木戸番屋 木戸一ヶ所に必ず壱軒有り、木戸番人詰る、常々、昼は内職として、ぞふり、わらんじ、蝋燭、箒 木、飴、菓子の類を商ふ、(菅園『そらおぼえ』明治十五年)

自身番屋と木戸番屋の図として「熈代勝覧」から室町二丁目と三丁目の辻の部分をあげる(下図)。
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 町の木戸は町の出入り口にあり、多くは辻にあった。近江屋板の切絵図には町木戸の印(小さな黒い長方形)が記されているので長谷川町三光新道の部分を紹介する。画像
守貞謾稿では木戸番屋について「広さ九尺に一間を定制とすといへども、庇に矯て九尺二間ばかりなること自身番と同じ」と述べている。九尺二間は三坪で、そこに家族とともに暮らしていて多くは昼間は商いもしているという。「二番煎じ」の舞台である火の番小屋は十人もの人が集まることが出来、御茶を呑むことは出来てもしし鍋をする鍋も箸もないのであるから、木戸番屋ではないことは確かである。

 一方自身番屋は実際の広さは「二間に三間ばかりもあり」とあって、人が住んでいるわけではないので、咄の火の番小屋と矛盾はない。
 三田村鳶魚氏は『江戸の春秋』のなかで
夜ごとの鉄棒の音は、チャンコン、チャチャコンと霜に冴えて、町々の火の番は精を入れる。わけても師走になっては、町内の鳶だけではなく、面々火の番に出掛けもする。二十五六日以後は、自身番のほかに、幾箇所もある火の番小屋は、徹夜で警戒いたします。まことに物々しいありさまでした。
と述べている。この「火の番小屋」は木戸番屋を指すのか、それとも木戸番屋とは別のものを指すのかわからない。木戸のない町もあるので、そこには火の番小屋が置かれていたであろうからそれなのか。ただ一般的に言って町の長さは大町でも60間(約110メートル弱)で両端に町木戸と木戸番小屋があり、どちらかの木戸番屋の向かい側には自身番屋もあるのだから、その他に火の番小屋が幾箇所もあるとは思えない。「二番煎じ」の「火の番小屋」は、たまたま木戸番屋、自身番屋とは別に火の番小屋があると考えることもできるが、自身番屋と考えていいのではなかろうか。
 一つ注意しなければならないのは、「横町の隠居」で取り上げたように江戸の町は宿場と同様、道を挟んで両側で一つの町であるから、町を廻るといっても極端な場合、通りを行って帰ってくるだけのところが多いはずである。左折又は右折を何回か繰り返して元に戻るという廻り方のできる町は少ないと思われる。

 ところで自身番屋は大きすぎるので建直しの際は小さくするようにと命じられている。
寛政三年(1791)
一自身番屋追々手広ニ成候も有之、惣而手重ニ候間、以来建広候義決而不相成、勿論是迄広ケ 候分も以後建直し之節は、用向弁し候迄ニ手狭ニいたし、新造修復共費無之様、成丈手軽ニ 可致事
  但、場末ニ至り候而は、ニ三町模合〔もやい〕ニいたし候義は勝手次第之事ニ候、且又番屋江詰候義、御成之節或は風烈之節、又は格別之訳有之候節は仕来通可詰、其余冬春迚も詰ニ不及、尤役人之外番屋江入不申、銘々弁当持参、酒は決而可禁事 (『江戸町触集成』第九巻)

ちなみに番小屋の広さは文政十二年(1829)に定尺が決められている。
一自身番屋
  梁間  九尺
  桁行  弐間半
  軒高サ 壱丈三尺
  棟高サ 軒ニ準じ可申候
一木戸番屋
  梁間  六尺
  桁行  九尺
  軒高サ 壱丈
  棟高サハ軒ニ準可申候
右之通相定申渡候間、右定尺より内ニ而有来候分ハ其侭差置、已後取建候番屋ハ、右定尺より相増候義一切停止ニ申付候、場所ニ寄何等之義ニ而、定尺通ニ而差支候筋も有之候ハヽ其訳可申立、其節糺之上可及沙汰右之通申渡候間、町々江不洩様組々一統江可申通 (『江戸町触集成』第十二巻)

 江戸時代は往還・河岸地等は幕府の土地であって、町木戸であれ自身番屋であれ勝手に建物等を建てることはできない。町奉行所に願い出て許可を受ける必要がある。往還ではなく町内の地面に建てるのには許可は不要である。町の地面内に建てた番屋を町並番屋とか店並番屋とか呼んでいる。また自身番は町毎に必ず一カ所あったわけではなく、小さな町の場合複数の町で共同(もやい)で建てている。
町方書上から自身番についての部分を紹介すると次の通り。
文政八年(1825)酉十月 浅草平右衛門町の書上
下平右衛門町の自身番屋は、もともと河岸地にあった。
天明六午年正月中右場所新規沽券町屋に仰せ付けられ候につき、同町東の方大川付き河岸明地下水際へ引き直し、先規有る形の通り自身番屋間口二間・奥行五間一棟に仕り、このうち河岸の方二間四方に補理し火の番屋に仕りたき段、同年四月廿六日町御奉行曲淵甲斐守殿御番所へ願い奉り候ところ、翌廿七日御見分の上五月六日山村信濃守殿御内寄合へ召し出され、願いの通り仰せ付けられ、右普請出来の旨同年七月八日御訴え申し上げ候えば、同日御見分下され候。(『江戸町方書上(一)浅草上』)

嘉永三年の近江屋板「浅草鳥越堀田原辺絵図」の平右衛門町には木戸の印がないので木戸番小屋の代わりに「火の番屋」を設けていたのであろう。

文政九年の池之端七軒町の書上
一自身番屋の義は、池之端七軒町・同所横町・同所五ヶ寺門前、右三ヶ所いずれも少(小)町の義につき、古来より申し合せ、最合〔もやい〕にて七軒町中ほど東側横町角、町屋の内一軒の自身番屋、間口九尺、奥行三間五尺を補理〔しつらい〕これあり。町並の義ゆえ新規修復とも御願い申し上げず候。そのほか商番屋・火の見など御座なく候。(『江戸町方書上(三)下谷・谷中』)


 最後に自身番屋の数であるが、嘉永三年九月の定世話掛名主達の報告を紹介しよう。名主は一番組から二十一番組に分かれており、番外に品川門前と新吉原があった。

     自身番屋
一、六拾七ヶ所 壱番組    一、七拾四ヶ所 弐番組
一、五拾五ヶ所 三番組    一、三拾ヶ所  四番組
一、四拾五ヶ所 五番組    一、四拾九ヶ所 六番組
一、四拾六ヶ所 七番組    一、五拾壱ヶ所 八番組
一、七拾九ヶ所 九番組    一、弐拾八ヶ所 拾番組
一、四拾五ヶ所 拾壱番組   一、三拾五ヶ所 拾弐番組
一、五拾六ヶ所 拾三番組   一、六拾四ヶ所 拾四番組
一、八拾八ヶ所 拾五番組   一、四拾ヶ所  拾六番組
一、六拾六ヶ所 拾七番組   一、弐拾三ヶ所 拾八番組
一、九ヶ所   拾九番組   一、拾八ヶ所  廿番組
一、拾三ヶ所  廿壱番組  
一、八ヶ所   品川(品川門前十八ヶ寺)
一、七ヶ所   新吉原
  合九百九拾ヶ所
 右之通御座候、以上
              定世話掛
   戌九月十六日      名 主 共
      (『江戸町触集成』第十六巻)

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