落語の中の言葉74「(江戸の)年始」
三代目古今亭志ん朝「御慶」より
1、町方の年礼 江戸の元日について『東都歳事記』(天保九年(1838))は次のようにいう。
江戸町方の元旦は、人が出るのは初日の出と恵方詣りくらいでひっそりしていたらしい。
商家の年礼について『東都歳事記』『絵本江戸風俗往来』ともに元日は行わず、二日からとしている。一方『東都歳事記』から四半世紀ほど前の文化九年(1812)正月刊の式亭三馬『浮世風呂』では元日から年礼に出ている。小僧の吉を連れて年礼に出たどら息子金太が何日も帰ってこないと母親が愚痴っている。
また落語では「御慶」も「正月丁稚」(二代目桂小南)も元旦に年礼に出ている。
以前は町方でも元日から年礼に出ていたものが幕末には二日からになったのであろうか。
2、年玉 年玉は扇が主であったと言われている。
暦好きの隠居のところへ出見世の息子が年礼に来て、「当年はおめでたく、暦の中の十二支でお礼に上りました」と話して帰る。「どうも一ト色足りぬようだ」と隠居がいうと、小僧「それで、丁度よろしうござります」。隠居「ナゼ」小僧「おとし玉が、ねずみ半切でござります」。(三題噺元祖三笑亭可楽『種が島』文化年間刊) 「ねずみ半切」とは鼠色をした漉き返しの紙。
また年玉に扇を使うのも文化年間(1810年前後)には稀になっていたともいう。
一旦下火になった扇が竹串をいれただけの扇箱になったのであろうか。
年玉と扇については、享保度に名主が御城へ年頭の御礼に出るときの献上物を軽くするよう命ぜられ、それまで様々であった品が扇子に限定されている。
3、名札 「御慶」の八五郎は手ぶらで出ているようであるが、「正月丁稚」では旦那の渋谷藤兵衛は名刺を丁稚の定吉に持たせて配らせている。定吉はいつも世話になっているからと、公衆便所にまで名刺を置いて行くから、いつの咄なのであろう。
江戸時代にも名刺にあたるものがあり、名札と呼ばれていたようである。ただ今の名刺とは大分ちがっていたらしい。

増田氏がやっと見付けたという江戸時代の名札は左の通り。
読み間違いもありそうであるが一応翻字すると
弥御健剛被成御勤、珍重
奉存候、私儀今般交代被仰付
近々御国許へ罷帰申候、誠ニ 中澤廣江
在勤中御厚情被仰合被下
忝奉存候、右御挨拶御暇乞旁
参上仕候、
名札は式亭三馬の『浮世風呂』にも出てくる。
やはり名前だけでなく来意も書かれている。
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1、町方の年礼 江戸の元日について『東都歳事記』(天保九年(1838))は次のようにいう。
元日 ○御一門方・御譜代御大名衆、御礼(装束にて卯半刻〔午前六時半頃〕出仕)。諸御役人方、御礼登城。
○諸家年礼(商家にては二日より出ずる。元日は戸を開かず)。
二日 ○商家には今日貨桟〔みせ〕をひらき售〔あきな〕ひを肇〔はじ〕め、年礼に出づるゆゑに、市中賑はひて酔人街に多し。
江戸町方の元旦は、人が出るのは初日の出と恵方詣りくらいでひっそりしていたらしい。
辻店の紙鳶売 正月元日に家業をなし銭儲けするものは、凧商う店の外はなし。江戸中、町家両側とも板戸を閉じて、往来すべて一物もなし。ただ犬の彼方此方に臥しけるを見る。今朝の東雲棚引く頃までも熱閙〔ねつとう〕のちまた、夜あけるとひとしく静かなる光景〔ありさま〕は、今朝始めて道路の幅の広きを覚えたる。中に葭簀をかこいて町毎に一、二ヵ所ずつ見えて子供の集まるは、辻の紙鳶商人なり。また軒下に人堵〔と〕をなすは、凧売店と知られたり。(菊池貴一郎『絵本江戸風俗往来』(明治38年))
町家は元日に年礼廻りはせず。門礼の多きは二十軒以下、少なきは十軒以下位なり。年礼軒数多きを外聞とするものは、幇間または、遊び芸人ばかりなり。(同書)
商家の年礼について『東都歳事記』『絵本江戸風俗往来』ともに元日は行わず、二日からとしている。一方『東都歳事記』から四半世紀ほど前の文化九年(1812)正月刊の式亭三馬『浮世風呂』では元日から年礼に出ている。小僧の吉を連れて年礼に出たどら息子金太が何日も帰ってこないと母親が愚痴っている。
元日に礼に出候迚、袴羽織で吉の野郎を五種香にして年玉物を持せ出たと思ひなせへ さうすると、元日の暮方になって、吉ばかり帰つたから、金太はどうしたと聞たら、何所へか廻るから先へ帰れと云なさりやしたから、わっちばかり帰りやしたと。何かおめへ、うぬが指行〔さしていっ〕た脇差も吉に指せて、袴もぐるぐるとひんまいて年玉の箱の中へ入てよこしたのさ。(三編 巻之下)神保五彌氏の註:五種香は、五種の香をこまかに刻んだもので、仏前に供える。五種香売りはこれを箱に入れ、首から胸にかけて売り歩いた。その姿からこのように言う。
また落語では「御慶」も「正月丁稚」(二代目桂小南)も元旦に年礼に出ている。
以前は町方でも元日から年礼に出ていたものが幕末には二日からになったのであろうか。
2、年玉 年玉は扇が主であったと言われている。
払い扇筥買ひ 新正江戸の市民、年始礼に行く者、必ず扇筥および袋納扇を年玉と号し、知音の毎戸にこれを配る。これを買ひ集めて、また年玉用に売るなり。中旬以後の物は、来春を待ちてこれを売る。けだしこれを買ひ巡る者、これを蓄ふることを得ず、専ら扇店に買ひ蓄ふるなり。因みに曰ふ、筥は多くは空筥にて、竹串を納れ音あるのみ。故に字して、がらがらの扇筥と云ふ。また扇納れたるもあり。多くは二柄納りなり。袋には一柄入り・二柄入りともにあり。(『守貞謾稿』)
扇売、安永年中(1770年代)迄は、元朝より扇々と云て、正月十四五日迄売来るもの、又天明年中(1780年代)よりは此商人止みて、払扇箱買ふと云て、元日より来るなり、昔の商人は扇を売計、今の商人は払ひ扇箱買ふと云て、買たり売たり、扨々賤しき商人の風義にぞなりける、(山田桂翁『宝暦現来集』巻二 天保二年(1831))以前は扇に限らなかったようである。
正月年玉に、念の入たる小宝焼の茶碗を、桐の四角なる箱入にして、安永年中迄は用ひしが、いまはなし、(同書 巻五)
宝暦の末、明和の始迄は、大晦日の夜に到ると扇売の声聞へて勇ましく覚へしが、いつとなく今はなし。女中の年玉、茶わんに限る様にて有しが、是も今はむかしと違へり。(加藤曳尾庵『我衣』巻一下)
暦好きの隠居のところへ出見世の息子が年礼に来て、「当年はおめでたく、暦の中の十二支でお礼に上りました」と話して帰る。「どうも一ト色足りぬようだ」と隠居がいうと、小僧「それで、丁度よろしうござります」。隠居「ナゼ」小僧「おとし玉が、ねずみ半切でござります」。(三題噺元祖三笑亭可楽『種が島』文化年間刊) 「ねずみ半切」とは鼠色をした漉き返しの紙。
また年玉に扇を使うのも文化年間(1810年前後)には稀になっていたともいう。
正月、玄関に年玉の扇箱を飾る事、商医が業を売らんとして、専らにせし事也、武家、町人にもまゝ有けり、年玉に貰し扇箱を、井桁に積重ね、高きを伊達にし、内より持出し飾るも有し、然るに、近年は諸町人扇箱を配るは希にして、いささかの品にても有用の品を配る事に也しより、扇箱を積あげる事絶てなし、(小川顕道『塵塚談』巻下 文化十一年(1814))
一旦下火になった扇が竹串をいれただけの扇箱になったのであろうか。
年玉と扇については、享保度に名主が御城へ年頭の御礼に出るときの献上物を軽くするよう命ぜられ、それまで様々であった品が扇子に限定されている。
享保六丑年(1721)十二月廿七日町方で主に扇子が年玉に使われたことと関係があるのであろうか。
喜多村(町年寄)ニ而御年頭御礼ニ上り候名主江被申渡
一御城御年頭御礼ニ上り候節、名主角屋敷町人献上物之儀、今度減少被仰付候間、来寅正月三日より名主角屋敷町人共ニ、御扇子三本入献上可仕候(以下略)
「一名主角屋敷之者、是迄ハ鳥目壱貫文又ハ御扇子、或ハ御馬之手助、御弓弦、御鷹之大緒等、其外南鍋町名主ハかん鍋献上と申様、色々成品、人々古来より上ケ来候品を銘々持上り、献上仕来候
3、名札 「御慶」の八五郎は手ぶらで出ているようであるが、「正月丁稚」では旦那の渋谷藤兵衛は名刺を丁稚の定吉に持たせて配らせている。定吉はいつも世話になっているからと、公衆便所にまで名刺を置いて行くから、いつの咄なのであろう。
江戸時代にも名刺にあたるものがあり、名札と呼ばれていたようである。ただ今の名刺とは大分ちがっていたらしい。
名札は名刺の前身であったといえても、江戸時代にはその作り方や使用方法はかなり違っていたようだ。例えば名札の場合は、これまで述べてきたように、それを必要とするときに手書きしたものが多かった。そして、名札には氏名だけでなく、必ず来意が書いてあったことだ。帰国の挨拶とか年賀のため参上とか、それから昇進、加俸などの御礼参上とか……。(増田太次郎『引札絵ビラ風俗史』)
増田氏がやっと見付けたという江戸時代の名札は左の通り。
読み間違いもありそうであるが一応翻字すると
弥御健剛被成御勤、珍重
奉存候、私儀今般交代被仰付
近々御国許へ罷帰申候、誠ニ 中澤廣江
在勤中御厚情被仰合被下
忝奉存候、右御挨拶御暇乞旁
参上仕候、
名札は式亭三馬の『浮世風呂』にも出てくる。
時の鐘と共に 申刻自時計 男出来りて風呂のせんをぬく 「コレコレ三助どん、最う些と待なナ。邪見な人だのう 三助「わたしは斯して置たいが、松の内早仕舞というお定りだから、しかたがございやせん。そりやぬけます 「ヲヽ情ねへのう。おれが斯だらうとおもつて気がせいたれど、礼者が永尻でヤツト今来ました。せめて二度這入と能に、タッタ一遍 「ヲヤヲヤそれはお寒からう。私は仕合せと、浮世風呂もこれで三編。板元の金設、又ずつしりとぬけました。最うぬきましたと番頭が、挨拶する門口から、
御慶申入まする。
「忝〔かたじけな〕いと名札をみれば。
本町二丁目延寿丹
年頭佳儀
式亭三馬
やはり名前だけでなく来意も書かれている。
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