落語の中の言葉57「初午」
三代目古今亭志ん朝「明烏」より
「明烏」は初午の日の噺である。いつも部屋で本ばかり読んでいる堅物の息子が珍しく出かけ、なかなか戻らない。母親が心配していると帰ってくる。父親が話を聞くと、今日は初午で横丁のお稲荷さんのところに近所の人が大勢集まっていて、そこでおこわを振る舞われた、大変よく炊けていたので三膳お代わりをして、帰ろうと思ったら子供達に遊んでくれとせがまれたので一緒に太鼓を叩いて遊んでいて遅くなったという。
また古今亭志ん生師匠の「火焔太鼓」でも、すこしボーとしている道具屋の親仁が市で太鼓を買って来る。それを聞いた女房が「太鼓? 太鼓というものはネ、お祭り前だとか初午前だとかいう際物なんだ、それはもっと頭の働く人がパッと買ってヒョイと売ちゃう物なんだ。お前さんのようについでに生きているような人にネ、そんなもんが、どうにもなるもんかイ」と云うところがある。初午には太鼓がつきものだったようである。
『守貞謾稿』には次のように書かれている。
また菊池貴一郎『絵本江戸風俗往来』(明治三十八年刊)にはこうある。
地口の例としては
精霊の真菰〔まこも〕と棚経〔たなぎょう〕の坊さま、見ればみそはぎ露が出る=女郎の誠と卵の四角、あれば三十日〔みそか〕に月が出る
絵馬あげぐわんほどき=胡麻あげ鴈もどき
年のわかいのに白髪が見える=沖のくらいのに白帆が見える
玄関に席をあらためて口上をきく=林間煖酒焼紅葉
検校喧嘩杖がたくさん=天上天下唯我独尊 等々
地口は落語でもよく使われる。五代目古今亭志ん生師匠の「庚申待ち」では
茶飯斬り=試し斬り
女むじな汁喰って玉の輿に乗る=女氏なくして玉の輿に乗る
同じく「道灌」では、
山に鮹が寝ている 鮹寝山=箱根山
ゴミ取りに目玉がくっついている ゴミ取り眼〔まなこ〕=蚤取り眼
お閻魔様が舌の先に石を載せて持ち上げている 閻魔舌の力持ち=縁の下の力持ち
が出てくる。またオチにも使われる。落語では地口も語呂も「地口オチ」と呼ばれるようである。
甲府い、お参り願ほどき=豆腐、胡麻入り鴈もどき(「甲府い」)
羽織ゃア着てる=羅宇屋煙管(「紫檀楼古木」)
長いのになると、
医者まけた医者まけた、姫が騙〔かた〕りか、大胆な=市はまけた市はまけた、注連〔しめ〕か飾りか橙か(「姫かたり」)
地口と語呂は似ている。辞書によっては語呂と地口を同じものとしているが、
大田南畝は『俗耳鼓吹』(天明八(1788)年序)で、「地口変じて語路となる。語路とはことはつゝきによりて、さもなき事の、それときこゆる也」といって、
九月朔日いのちはおしゝ〔割註〕ふぐはくひたし、いのちはおしゝと響のきこゆるなり。」
市川団蔵よびにはこねへか〔割註〕うちからだれかよびにはこねへかと、きこゆるなり。」
をあげている。
「地口変じて語路となる」という所から見て、南畝は地口と語呂は別物と考えていたようである。しかしその違いはハッキリとはわからない。地口はよく知られた語句の一部を音の似た(同じでない)ことばに換えてどう換えたかを楽しむもの、一方語路は違うことばで同じように聞こえることを眼目とするものと言えるのであろうか。
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「明烏」は初午の日の噺である。いつも部屋で本ばかり読んでいる堅物の息子が珍しく出かけ、なかなか戻らない。母親が心配していると帰ってくる。父親が話を聞くと、今日は初午で横丁のお稲荷さんのところに近所の人が大勢集まっていて、そこでおこわを振る舞われた、大変よく炊けていたので三膳お代わりをして、帰ろうと思ったら子供達に遊んでくれとせがまれたので一緒に太鼓を叩いて遊んでいて遅くなったという。
また古今亭志ん生師匠の「火焔太鼓」でも、すこしボーとしている道具屋の親仁が市で太鼓を買って来る。それを聞いた女房が「太鼓? 太鼓というものはネ、お祭り前だとか初午前だとかいう際物なんだ、それはもっと頭の働く人がパッと買ってヒョイと売ちゃう物なんだ。お前さんのようについでに生きているような人にネ、そんなもんが、どうにもなるもんかイ」と云うところがある。初午には太鼓がつきものだったようである。
『守貞謾稿』には次のように書かれている。
二月初午日
江戸にては、武家および市中稲荷祠ある事、その数知るべからず(武家、および市中巨戸、必ずこれあり。また一地面、専ら一、二祠これあり。これなき地面はなはだ稀とす)。諺に、江戸に多きを云ひて、伊勢屋・稲荷に犬の糞、と云ふなり。今日、必ず皆、この稲荷祠を祭る。正月下旬以来、太鼓を担ひ、市中を売り巡る。これ屠児らなり。太鼓と呼ばず、撥〔ばち〕をもって太鼓を拍ち行く。皆、今日の所用なり。また貧家の小児五、七人連なり、狐描きたる絵馬板を携へ、市店戸口に来りて、十二銭あるひは一銭、三銭を与ふ。その詞に、稲荷さんの御勧化〔おかんげ〕、御十二銅おあげと云ふ。多くは一銭を与ふのみ。今日、江戸の稲荷祭の盛んにして数所なる、大坂七月二十四日の地蔵祭に似て、しかも百倍の祭所なり。
また三都とも、今日専ら小豆飯に辛し菜の味噌あへを調し、これを供し、これを食す。
また菊池貴一郎『絵本江戸風俗往来』(明治三十八年刊)にはこうある。
日比谷稲荷初午祭 初午は二月初めの午の日なり。されども稲荷祭は二の午、三の午の日にも執行あり。ただ初午を多しとす。当日は武家屋敷・社地は更なり。寺院中に按置ある稲荷社、町方の裏家の奥なる一小社に至るまで、祭礼の執行あり。中にも王子稲荷、あるいは妻恋稲荷、さては芝の烏森稲荷等は、江戸屈指の初午祭なり。故に前日より太鼓の音、都中に満ちて湧くが如し。(中略)ここに云う「地口画燈籠」とは地口を絵にした行燈で、地口というのは洒落の一種である。
市中の初午祭 江戸町中稲荷社のあらぬ所はなく、地所あれば必ず稲荷社を安置して地所の守り神とす。初午祭は盛不盛の別はあれども必ず行なう。まず裏長屋の入口・露地・木戸外へ染幟〔そめのぼり〕一対を左右に立て、木戸の屋根へ武者を画〔えが〕きし大行燈をつる。露地の両側なる長屋より表家共地所中の借地借家の戸々に地口画〔じぐちえ〕田楽燈籠をかかぐ。稲荷の社前にて地所中の児童太鼓を打ち鳴らして踊り遊ぶ。借地借家の住人より集金して社前へ供物を奉る。これ最も下等の祭礼なり。祭費は皆地主の負担する所とす。その外、地所により盛祭の催しありて実に繁昌したり。
武家邸内の初午 武家邸内なる初午稲荷祭は、邸の前町なる町家の子供等を邸内に入ることを許して遊ばしめられ、邸内にて囃屋台をしつらえ、二十五座・三十五座の神楽を奏し、または手踊の催しより、種々なる作り物あり。花傘被〔おお〕える地口画燈籠を、数多く、庭裏より家中の長屋の門口へ立つ。夜に入るや武骨の武士、女子のいでたちして俄か踊の余興など始まるもあり。殿君・奥方・若君・姫君より御殿女中方の、透見〔すきみ〕もし給うあり。されば二月初午は例年市中賑わうこと夥し。
江戸にて稲荷祭には、地口行燈をつらねともすならはしなり。(中略)さてその行燈にかけるを絵地口とて、絵を専にして、まうづる人の、あゆみながら、よみてわかるをむねとするなり。(中略)この地口に、くさぐさのわかちあり。天神の手にて口をおさへたる絵に、だまりの天神〔割註〕鉛の天神。」団子を三串かけるに、団子十五〔割註〕三五十五なり。むかしは大かた五ッざしにて五文なりしを、四当銭出来てより、多くは四ッざしになりたり。」などいふは、そのかみのさまおもひやるべし。(以下略)(山崎美成『三養雑記』天保十一(1840)年)絵地口の例を一つ示すと、達磨大師の茶せんのすがた=達磨大師の座禅のすがた(図は最後)
地口の例としては
精霊の真菰〔まこも〕と棚経〔たなぎょう〕の坊さま、見ればみそはぎ露が出る=女郎の誠と卵の四角、あれば三十日〔みそか〕に月が出る
絵馬あげぐわんほどき=胡麻あげ鴈もどき
年のわかいのに白髪が見える=沖のくらいのに白帆が見える
玄関に席をあらためて口上をきく=林間煖酒焼紅葉
検校喧嘩杖がたくさん=天上天下唯我独尊 等々
地口は落語でもよく使われる。五代目古今亭志ん生師匠の「庚申待ち」では
茶飯斬り=試し斬り
女むじな汁喰って玉の輿に乗る=女氏なくして玉の輿に乗る
同じく「道灌」では、
山に鮹が寝ている 鮹寝山=箱根山
ゴミ取りに目玉がくっついている ゴミ取り眼〔まなこ〕=蚤取り眼
お閻魔様が舌の先に石を載せて持ち上げている 閻魔舌の力持ち=縁の下の力持ち
が出てくる。またオチにも使われる。落語では地口も語呂も「地口オチ」と呼ばれるようである。
甲府い、お参り願ほどき=豆腐、胡麻入り鴈もどき(「甲府い」)
羽織ゃア着てる=羅宇屋煙管(「紫檀楼古木」)
長いのになると、
医者まけた医者まけた、姫が騙〔かた〕りか、大胆な=市はまけた市はまけた、注連〔しめ〕か飾りか橙か(「姫かたり」)
地口と語呂は似ている。辞書によっては語呂と地口を同じものとしているが、
大田南畝は『俗耳鼓吹』(天明八(1788)年序)で、「地口変じて語路となる。語路とはことはつゝきによりて、さもなき事の、それときこゆる也」といって、
九月朔日いのちはおしゝ〔割註〕ふぐはくひたし、いのちはおしゝと響のきこゆるなり。」
市川団蔵よびにはこねへか〔割註〕うちからだれかよびにはこねへかと、きこゆるなり。」
をあげている。
「地口変じて語路となる」という所から見て、南畝は地口と語呂は別物と考えていたようである。しかしその違いはハッキリとはわからない。地口はよく知られた語句の一部を音の似た(同じでない)ことばに換えてどう換えたかを楽しむもの、一方語路は違うことばで同じように聞こえることを眼目とするものと言えるのであろうか。
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