落語の中の言葉53「えびす講」

           十代目桂文治「蛙茶番」より

 えびす講の日、町内の人が寄ってお店〔たな〕で素人芝居をするが、役もめをしないようにくじ引きで決めたはずが、蝦蟇蛙の役に当たった加藤さんの若旦那がいない。これは店の小僧定吉にさせるが、もう一人、旦那が昔風にしようと舞台番を頼んだ建具屋の半ちゃんも来ない。定吉を迎えにやると、「舞台番なんていけねえ」と大変な怒りよう。番頭の智恵で、半ちゃんが岡惚れをしている小間物屋のミーちゃんが期待しているとウソをつくと行くという。形〔なり〕は地味だが、緋縮緬の褌でオチをとるという。緋縮緬の褌を質屋から受け出して締めると、きれいになって行こうと湯に行き、大事な物だからと番台に預けて湯に入っている。なかなか来ないので、もういっぺん定吉が迎えにいき、早く来ないとミーちゃんが帰っちゃうよというと、大あわてで湯から出て、体もろくに拭かないで着物をひっかけ湯屋を飛び出す。肝心な物を番台に預けたまま忘れている。それに気づかずに舞台番の半畳で尻をまくったから、サア大変。

 この噺の舞台はえびす講である。これは江戸時代の商人にとって大変な年中行事だったようである。
菊池貴一郎『絵本江戸風俗往来』の十月の条には
この月二十日は恵比寿祭なり。恵比寿祭は恵比寿講と称して、商家にてはこの上なき大祭のよう心得たり。鍛冶職・餝職・石職に鞴〔ふいご〕祭とて、稲荷大明神を祭る。紺屋に愛染明王を祭る。大工職に太子講とて聖徳太子を祭る。船を扱う業にて船玉大明神を祭る。医家及び薬種商にて神農を祭る。芝居座には客人大明神を祭る等、皆家業の有難きを忘れざるの祭礼にして、月祭あり、年祭ありて、いずれも酒肴珍味を調え、料理人または出仕の膳部を命じ、絲竹管弦の余興ありて、客設けの丁寧よく心をつくして餐〔きょう〕じたり。さればこの月二十日の夷講等は諸商家々の賑わい大方ならず、まして日本橋最寄の商家は格別の賑わいとす。
とある。
この前夜には大伝馬町に市がたち、「くされ市」と呼ばれた。
腐れ市は、此所より東西南北凡二三丁にわたりて立つ、衆人市立の中を往来するに、「べッたりべッたり」と大呼して通ふる、是は、衣類へよごれ物のべたりべたりと付くと、心付けの注意言なり、古来の名物は、掛け鯛、大根の糀漬なり、是を俗に「あさづけ」といふ、町内の商人は、常々、勢州、尾州より荷物運送の為海上に便船多し、此便船をして、彼の地より塩鯛を積み来り、是を小商人をして此市に売らしむ、塩だい弐疋揃へ、尾紙を付、釣り糸を掛け、ゑびす祭りの供物の料に売る、くされ市の名是より始る、又、時候の品なりとて、大根の麹漬を売る、べッたり市の名是より始る、此外、諸雑品、小間物、手遊もの、喰物、植木等、すべて翫弄の品を多くあきなふ、」(菅園『そらをぼえ』明治十五年)
 菅園と名乗る著者は
予は本石町十軒店に住みて、近来此大でんま町に通勤す、(中略)おのれ書物を見し事もなく、唯幼年より、見もし、人々に聞もし、伝へし事ども、多くはわすれたれども、今思ひ出しまゝ書つけて、後子の為にものするのみ、自からあやまれる所々も多く、たがえるも有べけれど、無識無学の私記と、見ゆるされよかし、
 と前書きしているところからして、大伝馬町の店の通い番頭らしく思われる。

『東都歳事記』には正月の条に
二十日 ○商家、愛比寿〔えびす〕講(愛比寿・大黒二神を安じ、鯛魚の鮮〔あざら〕けきを拕〔う〕けてこれを祭り、万倍の利益貨殖を祈る。終夜親戚・知己をむかへて宴飲す。また蛭児の像前において、盃盤・器物にいたるまで価を千両あるいは万両などと定め、掌を打ちて、かりに商買の学をなせり)。
画像 とあり、十月の条には
「二十日 ○商家恵比寿講(正月二十日のごとし)。」
とだけあって、左の挿絵を載せている。
「一月のを若ゑびすといひ、又帳綴〔ちょうとじ〕祝ひといふ」(『そらをぼえ』)。
恵比須の像や掛け軸を飾り、鯛・酒・餅その他を供えて、夜通しの大宴会を催し鯨飲馬食をなしたようである。
江戸川柳はいう。
  ゑびす講おどり子を呼ぶむす子の代 誹風柳多留五篇
  ゑびす講上戸も下戸もうこけへず  誹風柳多留十一篇
  ゑびす講ふじのぶらつく程酔ハせ  誹風柳多留十二篇

最後のもう一つ図をあげておこう。

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