落語の中の言葉41「駆込願い」
六代目三遊亭円生の「一文惜しみ」より
賭場の使い走りをしていた初五郎はふた月程患うがその間、誰も見舞いに来ない。これを機にかつぎの八百屋をしたいと大家に話すと、奉加帳を作ってくれる。初筆が大事だから知り合いの金持ちのところへ行けと云われるが、知り合いに金持ちはいない。番頭は知っているからと、町内の質屋徳力屋万右衛門のところへ頼みにいく。この徳力屋は大変なしみったれで、うちの旦那はそういうことにはつきあわないから、私が附けてあげようと番頭がつけてくれたのが三文。ぐずぐず云っていると旦那が出てきてつけ直してくれるが、これが一文。こんなもんいらねエと畳に叩きつけると、はね返った銭が万右衛門の顔に当たる。怒った万右衛門が煙管で初五郎の額に疵をつける。半泣きになって大家の所へ戻ると、大家は疵をつけたのが万右衛門本人であることを念押しして、正規の手続きでは日数がかかるから駆込めという(駆込訴え・駆込願い)。お白州が開かれるが、双方を調べた御奉行は、膏薬代を貪ろうという魂胆であろうと初五郎を叱り、万右衛門はお咎め無しとする。ただし、まっとうな仕事に就こうとするのはよいことだとして、元手に五貫文を貸してくれ、返済は毎日一文づつでよいという。ただ初五郎は独り身で商売もあるため毎日奉行所へ届けに来るのは大変であろう、一方万右衛門の店は初五郎の住まいから近く、奉公人も大勢いるので初五郎から一文を受け取って奉行所へ届ける中取次をしてくれぬかといわれ、万右衛門はそれを引き受けて、お白州は終わる。
大家は初五郎に朝早く、まだ徳力屋が寝ている時刻に一文を持っていかせ、受取をもらうように言いつける。番頭はしぶしぶ受取を店のものに書かせ、手の空いた時分に店の者に奉行所へ一文を持っていかせると奉行所では受け取らない。名主五人組立会で貸付け、また中取次を引き受けたのであるから名主五人組同道で徳力屋本人が来いという。やむなく名主五人組に頼んで一緒に行くと役所が引ける頃になってようやく呼び入れられ一文を受け取ってもらえる。ばかばかしいと怒る名主に謝り、相当なお礼をし、五人組には日当を払うが、これが毎日である。五貫文返し終わるまでに日当やお礼で身上〔しんしょう〕は半分になってしまうと、初五郎と大家に百両を払って頼み、五貫文の引き残りを奉行所へ納め示談となる。
駆込訴えというのは正規の手続ではなく、本来は認められないものであるという。『江戸町方の制度』によると、
訴訟特に民事訴訟は本来当事者同士で解決すべきものであり、それが出来ない場合には家主、さらに名主が解決をはかり、それでも内済(示談)にできない場合には、幕府が「恩恵として裁判してやるという建前」(石井良助『第一江戸時代漫筆』)であったから、家主・名主の調停を経ずに、いきなり訴えても受理しないことになっていたようである。
ただ、緊急のものあるいは幕府として看過できないと認めたものについては、例外的に取上げられたようである。「大工調べ」でも駆込願いがなされるが、その願書は「道具箱を二十日余りも留め置かれ老母一人養い難し」という内容である。江戸時代には親への孝行あるいは主人への忠義が重視され、しばしば町奉行が褒美を与えている。そこを突いての願書である。「一文惜しみ」ではどういう願書であったのか触れていない。
また、日数がかかるという本来の手続はというと、
訴訟には被告側家主の預かり證文が必要であった。
また訴訟には名主の差し添えも必要であった
また名主へのお礼や五人組への日当などについては
と記されている。
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賭場の使い走りをしていた初五郎はふた月程患うがその間、誰も見舞いに来ない。これを機にかつぎの八百屋をしたいと大家に話すと、奉加帳を作ってくれる。初筆が大事だから知り合いの金持ちのところへ行けと云われるが、知り合いに金持ちはいない。番頭は知っているからと、町内の質屋徳力屋万右衛門のところへ頼みにいく。この徳力屋は大変なしみったれで、うちの旦那はそういうことにはつきあわないから、私が附けてあげようと番頭がつけてくれたのが三文。ぐずぐず云っていると旦那が出てきてつけ直してくれるが、これが一文。こんなもんいらねエと畳に叩きつけると、はね返った銭が万右衛門の顔に当たる。怒った万右衛門が煙管で初五郎の額に疵をつける。半泣きになって大家の所へ戻ると、大家は疵をつけたのが万右衛門本人であることを念押しして、正規の手続きでは日数がかかるから駆込めという(駆込訴え・駆込願い)。お白州が開かれるが、双方を調べた御奉行は、膏薬代を貪ろうという魂胆であろうと初五郎を叱り、万右衛門はお咎め無しとする。ただし、まっとうな仕事に就こうとするのはよいことだとして、元手に五貫文を貸してくれ、返済は毎日一文づつでよいという。ただ初五郎は独り身で商売もあるため毎日奉行所へ届けに来るのは大変であろう、一方万右衛門の店は初五郎の住まいから近く、奉公人も大勢いるので初五郎から一文を受け取って奉行所へ届ける中取次をしてくれぬかといわれ、万右衛門はそれを引き受けて、お白州は終わる。
大家は初五郎に朝早く、まだ徳力屋が寝ている時刻に一文を持っていかせ、受取をもらうように言いつける。番頭はしぶしぶ受取を店のものに書かせ、手の空いた時分に店の者に奉行所へ一文を持っていかせると奉行所では受け取らない。名主五人組立会で貸付け、また中取次を引き受けたのであるから名主五人組同道で徳力屋本人が来いという。やむなく名主五人組に頼んで一緒に行くと役所が引ける頃になってようやく呼び入れられ一文を受け取ってもらえる。ばかばかしいと怒る名主に謝り、相当なお礼をし、五人組には日当を払うが、これが毎日である。五貫文返し終わるまでに日当やお礼で身上〔しんしょう〕は半分になってしまうと、初五郎と大家に百両を払って頼み、五貫文の引き残りを奉行所へ納め示談となる。
駆込訴えというのは正規の手続ではなく、本来は認められないものであるという。『江戸町方の制度』によると、
当時に於ては駈込願と云ふ一種特別の訴へ方あり、火急を要することにて例規の手続をなすの暇なき場合になすなり。(中略)この訴へ方は公然許されたるものにあらざれども黙許せられ居たるものなり。さてかかる場合に遭遇していよいよ駈け込みをなすとき、足既に奉行所表門の閾〔しきい〕を越ゆれば最早やシメタものなり、門番これを妨げず、願は取上げ本人には入牢申付くるなり。然れども閾を跨がぬ内に門番に見咎められたるときは願は決して取上げざるの定めなり、たゞし駈込願の非常手段に出づるは余儀なき事情の存するあるがためなれば門番もかくとは知りながら見ぬ振りし、既に閾を跨ぎたるを見て始めて飛び出して誰何〔すいか〕するの内情なりしとなり、
訴訟特に民事訴訟は本来当事者同士で解決すべきものであり、それが出来ない場合には家主、さらに名主が解決をはかり、それでも内済(示談)にできない場合には、幕府が「恩恵として裁判してやるという建前」(石井良助『第一江戸時代漫筆』)であったから、家主・名主の調停を経ずに、いきなり訴えても受理しないことになっていたようである。
ただ、緊急のものあるいは幕府として看過できないと認めたものについては、例外的に取上げられたようである。「大工調べ」でも駆込願いがなされるが、その願書は「道具箱を二十日余りも留め置かれ老母一人養い難し」という内容である。江戸時代には親への孝行あるいは主人への忠義が重視され、しばしば町奉行が褒美を与えている。そこを突いての願書である。「一文惜しみ」ではどういう願書であったのか触れていない。
また、日数がかかるという本来の手続はというと、
例へば府内住居の借家人他の借家人に対して貸金請求の訴を起さんとすれば、先づその五人組及び家主にその理由を語り、彼等の承諾を得て後ち相手方即ち被告方の家主に至りまた訴への理由を告げ、預りを依頼す、預りとは訴訟中、被告を他行せしめざるを保証するなり。被告の家主はその理由を聞き、追て本人取糺しの上預りを出すべきよしを返答して後ち、相手被告某及びその五人組を我家に呼び寄せ、成るべく示談にて済ます様説諭をなすなり。而して相手方に種々の事情ありて示談に及び兼ね候旨申張り候上は已むを得ず家主は原告の家主に預りを出すなり。
その預りは左の如し、
預り証の事
一、私店何兵衛事貴殿御店何右衛門より貸金の義御訴の由に付
公事中は旅行等決して為致間敷候
右預り一札如件
原告家主は本人の訴書にこの預り証を添へて御玄関へ差出すなり、御玄関とは支配の名主なり。名主はこの訴書を見て本人並に家主を呼び出し、一応示談致すべき旨申諭し、聞き入れざるときは訴ヘの次第を相手方居住地の名主に通知するなり。被告支配の名主はこの通知を受くるや直ちに相手方及びその家主を呼び出し示談を申勧め愈々肯ぜざるときはその始末を原告方の名主へ通知す、原告方の名主はここに始めて原告の訴書に奥印し、家主に渡せば、家主は本人同道月番の奉行所に至り、恭しくこれを訴所に差出す。
訴訟には被告側家主の預かり證文が必要であった。
(宝永四年八月)市井出訴の折から、相手をその地へ預けば、家主より證状とるべき旨、午の八月令せられしに、此ごろみだりになれり。今よりのち彌預りの證状とるべし。もし預らざるゆへあらば、そのときとみに、直月の廳に双方よりうたへ出べし。預りしもの證状なきは、上裁あるべからずとなり。(『常憲院殿御実紀』巻五十六)
また訴訟には名主の差し添えも必要であった
(正徳四年二月)市井のもの、訴獄の事により町奉行所に出るとき、名主さし添て出べきを、近頃はをこたりてそのことなし。このゝち双方ともに、名主さしそひて出べし。出訴するときは、前令の如く本人のみ出べし。(『有章院殿御実紀』巻七)
また名主へのお礼や五人組への日当などについては
最初名主の奥印を乞ふとき弁当料として訴訟人より金一朱を名主に差出し、同道の家主にも亦弁当代二百文を贈るの定めにして、公事の種類により、名主の出廷を要するときはその度び毎に弁当代一朱を贈るの例なり。その外自分の弁当代、腰掛茶屋の茶料廿四文若しくは三十二文を要するが故に訴訟入費も少なしとは云ふべからず。(『江戸町方の制度』)
と記されている。
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