落語の言葉36「さゝ」
五代目古今亭志ん生の「妾馬」より
妹のつるが大名のお目にとまって奉公にあがり、お世取りを産んだところから、兄である八五郎は、屋敷に呼ばれ、殿様に対面する。無礼講ということで即答を許され、「ささ」は食べるかと聞かれる。落語には酒を「ささ」と呼ぶところが時々でてくる。
中国で酒を竹葉と異名するところから、竹葉→ささ となったという説が有名であるが、竹葉酒というのは梅酒などと同様に一種の酒であり、酒一般を竹葉と考えるの誤りであるという説もある。
誤解からおこった詞や諺が一般化することもよくあることで、節信も「酒をさゝというも誤なるべし」としながら、「さゝといふは竹葉より出たる名成べし」としている。
ほかには、さけの「さ」を重ねた女房詞という説もあり、また、三三九度からきたという説もある。
ただ、島田勇雄氏は「貞丈雑記」の解説で
室町幕府成立以前から酒が「ささ」「くこん」と呼ばれていたとすれば三三九度がもとという説は成立しない。
また、
酒の意味での「さゝ」「くこん」や「わさゝ」がいつ頃から使われているのか。残念ながら知らない。
ところで「秋茄子わさゝのかすに…」の歌について、万葉集の歌あるいは夫木集の歌ともいわれるが、いずれにも無いともいう。万葉集・夫木集について、こんな話がある。
鬼貫という俳人が二十歳前にある会で
ちよと見にはちかきも遠し吉野山
といふ前句に、
腰にふくべのさげてぶらぶら
と付けたところ、名所に物をもって付けるには古歌や古事にもとづかなくてはならないことから、吉野山にふくべは何によるのかと咎められ、とっさに
見よしのゝ華のさかりをさねとひてひさごたづさへ道ひとり行く
という歌をつくり、この古歌によって付けたと答えたところ、何にある歌かとさらに尋ねられ、たしか万葉か夫木で見たとごまかしたという。これについて
脱線ついでにもう一つ。「秋茄子わさゝのかすに…」の歌、これを、「秋茄子を嫁に喰わすな」という諺のもととひろく考えられていたようであるが、別の解釈もある。
鼠を嫁あるいは嫁が君と呼ぶことについては、
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妹のつるが大名のお目にとまって奉公にあがり、お世取りを産んだところから、兄である八五郎は、屋敷に呼ばれ、殿様に対面する。無礼講ということで即答を許され、「ささ」は食べるかと聞かれる。落語には酒を「ささ」と呼ぶところが時々でてくる。
中国で酒を竹葉と異名するところから、竹葉→ささ となったという説が有名であるが、竹葉酒というのは梅酒などと同様に一種の酒であり、酒一般を竹葉と考えるの誤りであるという説もある。
アイ嚢抄に、酒を竹葉と云は只是酒の異名也といへり、さゝといふは竹葉より出たる名成べし。然れ共本草(註)を考ふるに、諸〔もろもろの〕薬酒方中に、竹葉酒は淡竹葉煎汁如常醸酒飲〔たんちくえうのせんじふ つねのごとく さけにかもしのむ〕と見へて、梅酒菊ざけなどのごとく別に一種の酒なり、酒の一名多けれども、竹葉といふ異名なければ、酒をさゝというも誤なるべし。楽天が詩に、甕頭竹葉経春熟〔ようとうのちくえふ はるをへてじゅくす〕といへるも、酒の一名にはあらじ、別に一種の酒也。酒をさゝといひしもやゝ古きことゝ見えたり。ある古歌に、「秋なすびわさゝのかすにつけまぜてよめにくはれじ棚におくとも〔割注〕秋茄子は、嫁に喰わすなといふ諺のもとなるべし。」とあり、此歌何の比〔いつのころ〕の歌とも定かにはしらず、翠竹庵道三の類葉和歌集、また羅山子の撰せる春雨抄にも載て、あるは万葉或は夫木〔ふぼく〕など出所をしるせど、それは皆あやまりにて、もとよりそれらの集にあるべき歌ざまにもあらず、さてわささのかすは早酒〔そうしゅ〕の糟にて、新酒のかすなるを、かすを数字〔かずのじ〕に書る本もあるは誤也。又伊呂波字類抄飲食部に、?〔ばい〕をワサヽと訓じ、酒未漉也〔さけのいまだこさざるなり〕と注せり、節用集にも、?早酒也〔わさゝはやざけなり〕とあり、(喜多村節信『瓦礫雑考』文化十四1817)(註)『本草綱目』に「竹葉酒治諸風熱病。清心暢意。淡竹葉煎汁如常醸酒飲云々」
誤解からおこった詞や諺が一般化することもよくあることで、節信も「酒をさゝというも誤なるべし」としながら、「さゝといふは竹葉より出たる名成べし」としている。
ほかには、さけの「さ」を重ねた女房詞という説もあり、また、三三九度からきたという説もある。
酒を『ささ』とも『くこん』とも云うは、ささは『三々』なり、くこんは『九献』なり。酒は三三九度呑むを祝いとする故なり。『九』は陽数にてめでたき数ゆえ、唐土にも九献と云う事あり。(伊勢貞丈『貞丈雑記』)
ただ、島田勇雄氏は「貞丈雑記」の解説で
平安朝時代には婚姻の成立を餅に求めて『三日の餅』が重視されたが、武家時代にはそれを酒に求め、式三献の一種の三々九度に推移し、現在に至っている。それは室町武家が飲酒の作法を重視したことの帰結である。室町武家の食礼では、飲酒礼が重要な位置を占め、その委細が『酒盃之部』である。と述べている。
室町幕府成立以前から酒が「ささ」「くこん」と呼ばれていたとすれば三三九度がもとという説は成立しない。
また、
酒をさゝと云は、白氏文集に酒の名を竹葉と云におこり、竹の葉の盃などゝうたふ、然れども、万葉集の歌に、こちらは「わさゝ」「あさゝ」から「ささ」となったという。「わさゝ」→「さゝ」なのか、逆に「さゝ」→「わさゝ」なのかは、どちらの言葉が古くから使われていたかによる。
秋茄子わさゝのかすにつけまぜてよめにくはれじ棚に置とも
と云歌よりみれば、古きこと葉と見へたり、わさゝをあさゝとも云、後に略してさゝと云。(石上宣続『卯花園漫録』文化六年1809)
酒の意味での「さゝ」「くこん」や「わさゝ」がいつ頃から使われているのか。残念ながら知らない。
ところで「秋茄子わさゝのかすに…」の歌について、万葉集の歌あるいは夫木集の歌ともいわれるが、いずれにも無いともいう。万葉集・夫木集について、こんな話がある。
鬼貫という俳人が二十歳前にある会で
ちよと見にはちかきも遠し吉野山
といふ前句に、
腰にふくべのさげてぶらぶら
と付けたところ、名所に物をもって付けるには古歌や古事にもとづかなくてはならないことから、吉野山にふくべは何によるのかと咎められ、とっさに
見よしのゝ華のさかりをさねとひてひさごたづさへ道ひとり行く
という歌をつくり、この古歌によって付けたと答えたところ、何にある歌かとさらに尋ねられ、たしか万葉か夫木で見たとごまかしたという。これについて
このはなしは、さもあるべきことゝおもしろくおもはれけり。近きころまでも万葉集と夫木鈔は、世に見ぬ人も多かればにや。その集になきをいひ伝へたるもまゝあり。今そのひとつをいはゞ、
楽みは夕がほ棚の下すゞみをとこはてゝらめはふたのして
といふを万葉集の歌とし、また、
秋なすびわさゝのかすに潰まぜて棚におくともよめにくはすな
これを夫木集に載する歌とするたぐひ、おもふべし。(山崎美成『三養雑記』天保十一年1840)
脱線ついでにもう一つ。「秋茄子わさゝのかすに…」の歌、これを、「秋茄子を嫁に喰わすな」という諺のもととひろく考えられていたようであるが、別の解釈もある。
ふるき絵冊子に、鼠のよめ入といふことをつくりしものあり。今も猶錦絵などにのこりて、たまたま見ることあり。こは鼠の異名を嫁とも嫁の君ともいへるより作意したるものとおもはれたり。古歌に、こちらは「よめ」を人間ではなく「鼠」としている。
秋なすびわさゝのかすに漬まぜて棚におくともよめにくはすな
といへるも、鼠をよめといふあかしなり。(山崎美成『世事百談』天保十二年)
鼠を嫁あるいは嫁が君と呼ぶことについては、
『俳諧五節句』(元禄元年印本内田順也著)に『よめが君、三ヶ日の鼠をいふ』とあり。三ヶ日には忌ていはざる詞あり。それにはかざし詞とて名をよびかへていふ也。雨をおさがり、寝るをいねつむ、おきるをいねあぐるといふ類にて鼠をよめが君といふはかのかざし詞なるゆゑ俳諧にては初春の季を持なり。(柳亭種彦『柳亭筆記』)また、
『物類称呼』に、『鼠関西にてよめ又嫁が君、上野にて夜のもの、又よめ、又おふく、又むすめなどいふ。東国にもよめと呼処多し。遠江国には年始ばかりよめと呼』。『其角が発句』に、『明る夜もほのかに嬉しよめがきみ』。去来云、『除夜より元朝かけて鼠の事を嫁が君といふにや、本説はしらず』とぞ。(喜多村節信『嬉遊笑覧』)季語としては「初春」となってはいるが、ひろく鼠は「よめ」と呼ばれていたようである。この古歌の「よめ」は人であったのであろうか、鼠であったのであろうか。
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