落語の中の言葉33「十両盗むと首がとぶ」下
今回は前回に続いて、盗みに対する仕置としての「敲」と「死罪」について紹介する。
御定書百箇条の百三条には「鋸挽」から始まる各種仕置きの形が書かれており、その中に
(享保五年極)
一、敲 数五十たゝき、重きは百敲
牢屋門前にて、科人之肩脊尻を掛ケ、背骨を除キ絶入不仕様、検使役人遣、牢屋同心に為敲候事。
但町人に候得は、其家主名主、在方は名主組頭呼寄敲候を、見せ候て、引渡遣。無宿ものは、牢屋門前にて払遣。
とある。
敲の様子は古今亭志ん生の人情噺「業平文治」に出てくる。
敲の詳細についても同書に記載がある。
敲の仕方は、牢屋敷の表門前に筵を三枚敷き、その上で行われた。囚獄石出帯刀、牢屋見廻与力、検使与力、徒目付、小人目付が立合い、牢屋見廻下役同心二人がこれに附き添う。それに鍵役(牢屋同心)四人、打役(同)四人、当番の本道(内科)医師一人、下男部屋頭。
鍵役が出牢証文と科人とを一々引き合わせて、名前、肩書、年齢、入牢日などを改めた上で、下男が
「科人を一人ずつ筵の上に連れてきて裸にし、着物を筵の上にしき、その上に腹ばいにさせて道の方に顔を向け、下男四人で手足を押える。そこで、打役四人のうち末席の者が出て」打つ。
打つ道具は箒尻〔ほうきじり〕と呼ばれ、「長さ一尺九寸、周囲三寸ほど、竹片二本を麻苧〔あさお〕または革で包み、その上を紙捻〔こより〕で巻いたものである。」という。
(注:上の図は別のところ〈『目で見る江戸・明治百科第一巻』〉からとっているため、引用文とは一致しません)
次に死刑であるが、これは処刑方法から分けると、火あぶり、磔、斬首の三種類になる。斬首は「獄門」「死罪」「下手人」に分かれる。「下手人」というのは自ら手を下した人殺しのことであるが、江戸時代には死刑の一つの名でもある。「死罪」と「下手人」の違いは主に三つある。一つは斬首されたあとの胴体が様物〔ためしもの〕(新刀の切れ味を確かめるためのもの)に使われるかどうか、二つには闕所〔けっしょ〕(田畑家屋敷等の没収)が付加されるかどうか、三つには旧悪(今日の時効のようなもの)の適用があるかどうかである。「死罪」は胴が様物に使われ、闕所が付加され、旧悪の適用がない。反対に「下手人」は胴は様物に使われず、闕所にもならず、旧悪の適用がある。
旧悪については、御定書百箇条の十八条に規定があり、逆罪・火附等重罪をあげたあと
(追加)(延享元年極)
一、都而公儀之御法度を背き、死罪以上之科に可被行もの
(延享元年極)
右は旧悪に候共、御仕置伺可申候。此外之科一旦悪事いたし候共、其後相止候由申之、尤 外沙汰も無之におゐては、十二ヶ月以上之旧悪は不及咎事。
また闕所については同じく二十七条に
一磔 一火罪 一獄門 一死罪 一重追放
(追加)(従前々之例)(延享二年極)
右御仕置に申付候者は、田畑家屋敷家財共闕所可申付。中追放、田畑家屋敷、軽追放者、田畑闕所可申付。家財は中軽共不及闕所。
(延享元年極)
但下手人は不及闕所。此外専利欲に拘り候類者、江戸拾里四方追放并所払にても、田畑家屋舗闕所申付へし、貪たる儀無之におゐては不及闕所。
とある。
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御定書百箇条の百三条には「鋸挽」から始まる各種仕置きの形が書かれており、その中に
(享保五年極)
一、敲 数五十たゝき、重きは百敲
牢屋門前にて、科人之肩脊尻を掛ケ、背骨を除キ絶入不仕様、検使役人遣、牢屋同心に為敲候事。
但町人に候得は、其家主名主、在方は名主組頭呼寄敲候を、見せ候て、引渡遣。無宿ものは、牢屋門前にて払遣。
とある。
科人が病身または老人で、ふつうの打ち方では別条があろうと思われるときは、打ち方を加減することはあっても、数を増減することはなかった。(中略)がいして、打たれるときに大きな声をあげて泣き叫ぶと、打役は自然と軽く打つようになり、黙っている者ほど強く打つ気味があるので、囚人の間では、打たれるとき大声をあげて泣くにしかず、と言われていたという。(石井良助『江戸の刑罰』)
敲の様子は古今亭志ん生の人情噺「業平文治」に出てくる。
敲の詳細についても同書に記載がある。
敲の仕方は、牢屋敷の表門前に筵を三枚敷き、その上で行われた。囚獄石出帯刀、牢屋見廻与力、検使与力、徒目付、小人目付が立合い、牢屋見廻下役同心二人がこれに附き添う。それに鍵役(牢屋同心)四人、打役(同)四人、当番の本道(内科)医師一人、下男部屋頭。
鍵役が出牢証文と科人とを一々引き合わせて、名前、肩書、年齢、入牢日などを改めた上で、下男が
「科人を一人ずつ筵の上に連れてきて裸にし、着物を筵の上にしき、その上に腹ばいにさせて道の方に顔を向け、下男四人で手足を押える。そこで、打役四人のうち末席の者が出て」打つ。
打つ道具は箒尻〔ほうきじり〕と呼ばれ、「長さ一尺九寸、周囲三寸ほど、竹片二本を麻苧〔あさお〕または革で包み、その上を紙捻〔こより〕で巻いたものである。」という。
打役のうち一人がかたわらに立って、一打ごとに一つ二つと数を呼ぶ。数え役である。検使はもちろん立会役人も、その数の誤りのないように注意する。重敵の場合は、五十敲くと敲くのをやめて、医師が気付薬を科人に呑ませ、下男の部屋頭は手桶の水を椀にくんで口に与え、一息つかせる。そこで打役が交替して、残りの数を打つ。その打ち方は、すべて背骨をよけて、肩から尻にかけて打つのである。打ち終ると、非人が背中に白膏を塗り、ただちに衣服を着せ、その場を立たせ、他の科人の敲に移る。一日に数十人を打つことがある。(中略)
処刑ずみの者はただちに宿元、町役人に引き渡されるか、"入墨の上敲"に処せられた者は、
入墨が乾くまで三日間溜預にする。無宿者で人足寄場に送られる者は警固の同心に引き渡される。浅草、品川の両溜へ預けられる者はその非人がつれていき、佐渡へ送る者は入牢させられる。
(注:上の図は別のところ〈『目で見る江戸・明治百科第一巻』〉からとっているため、引用文とは一致しません)
次に死刑であるが、これは処刑方法から分けると、火あぶり、磔、斬首の三種類になる。斬首は「獄門」「死罪」「下手人」に分かれる。「下手人」というのは自ら手を下した人殺しのことであるが、江戸時代には死刑の一つの名でもある。「死罪」と「下手人」の違いは主に三つある。一つは斬首されたあとの胴体が様物〔ためしもの〕(新刀の切れ味を確かめるためのもの)に使われるかどうか、二つには闕所〔けっしょ〕(田畑家屋敷等の没収)が付加されるかどうか、三つには旧悪(今日の時効のようなもの)の適用があるかどうかである。「死罪」は胴が様物に使われ、闕所が付加され、旧悪の適用がない。反対に「下手人」は胴は様物に使われず、闕所にもならず、旧悪の適用がある。
旧悪については、御定書百箇条の十八条に規定があり、逆罪・火附等重罪をあげたあと
(追加)(延享元年極)
一、都而公儀之御法度を背き、死罪以上之科に可被行もの
(延享元年極)
右は旧悪に候共、御仕置伺可申候。此外之科一旦悪事いたし候共、其後相止候由申之、尤 外沙汰も無之におゐては、十二ヶ月以上之旧悪は不及咎事。
また闕所については同じく二十七条に
一磔 一火罪 一獄門 一死罪 一重追放
(追加)(従前々之例)(延享二年極)
右御仕置に申付候者は、田畑家屋敷家財共闕所可申付。中追放、田畑家屋敷、軽追放者、田畑闕所可申付。家財は中軽共不及闕所。
(延享元年極)
但下手人は不及闕所。此外専利欲に拘り候類者、江戸拾里四方追放并所払にても、田畑家屋舗闕所申付へし、貪たる儀無之におゐては不及闕所。
とある。
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