落語の中の言葉04「鰹」

          三代目桂米朝の「鹿政談」より
 「鹿政談」は講釈から落語に取り入れられた噺の一つだという。そのマクラに、三都すなわち江戸、京、大阪の名物を詠んだ歌が出てくる。噺家によって少しづつちがうが、桂米朝師匠の場合では、
江戸は「武士、鰹、大名小路、生鰯、茶店、紫、火消し、錦絵」
京都は「水、壬生菜、女、羽二重、みすや針、寺に、織り屋に、人形、焼き物」
大阪は「橋に船、お城、芝居に、米相場、惣嫁、揚屋に、石屋、植木屋」
となっている。ついでにこの噺の舞台となる奈良のそれは「大仏に、鹿の巻筆、あられ酒、春日灯籠、町の早起き」である。大坂にある「惣嫁」というのは江戸でいう夜鷹にあたる下級の私娼のこと。
 ところで、江戸の名物の2番目に挙げられている鰹、特に初鰹は江戸の町民にとって特別なものであったことは有名だ。「唐茄子屋政談」(五代目古今亭志ん生)の中でも唐茄子を買ってくれと頼まれた半さんは「鰹を片身買ってくれっていやあ、借金質に置いたって買うよ」と云っている。1本1両2両の高値であったという。
天明の比、我家の長臣渡辺杢右衛門、石町の豪富林治左衛門が許に至り、初鰹の振舞に逢ひし林が手代に価を尋ければ、今日は安し、一本二両二分也、と云しとて、立帰りて我が父へ語りたるを、我れかたはらにありて聞し事ありき、我父鰹をこのまれしゆゑ、出入の肴屋常に持来りしが、初鰹は高価也しが、秋の古背にいたりては、肥太なるも価二百孔に過ず、今は初鰹も二両三両をきかず、古背も二百孔の物なし、いかなるゆゑやらん、(天野三郎兵衛の筆記を山東京山が記す『蛛の糸巻下巻』)
なかには4両で買ったという記録もあるという。「そこが江戸、小判を辛子みそで喰い」。ちなみに江戸時代、鰹の刺身は辛子酢か辛子みそで食べたらしい。「梅に鶯、鰹には辛子なり」(天明元年川柳評万句合)。
  2両とはどのくらいの値段かというと、明暦の大火後賃金が高騰した時に、大工・左官といった上職人でその賃金は1日に銀3匁であり、金1両=銀63・6匁の相場で計算すると、金2両は1ヵ月半から2ヵ月分もの賃金となる。大変な高値だ。そこで「初鰹薬のようにもりさばき」「初鰹家内残らず見たばかり」(柳多留初篇)ということにもなる。 江戸の名物とはいっても獲れるのは鎌倉沖あたり、冷蔵技術のない時代、傷みやすい鰹のこと、八丁櫓の舟で日本橋の魚河岸に急ぎ(「初鰹ムカデのような船に乗り」)、魚屋も早く売り切った。なかには魚屋が売りに来るのを待つのではなく、
奢侈の人の初鰹を賞翫するに、魚屋の持来るを待てば、其品すでに劣るとて、時節を計り品川沖へ予め舟を出し置、三浦三崎の方より、鰹魚積みたる押送船を見掛け次第、漕寄せて金一両を投げ込めば、舟子は合点して、鰹魚一尾を出すを得て、櫓を飛して帰り来る、是を名付て真の初鰹喰と云へり(喜多村香城『五月雨草紙』慶應4年)
というものさえいたという。しかし、金をケチッて売れ残りを安く買うと食中毒ということになる。「恥ずかしさ医者に鰹の値が知れる」。それでも最盛期にはずっと安くなり、1両で16本も買えるようになると、「十六本すると犬まで喰い飽きる」。
 江戸末期の『守貞謾稿』には次のようにある。
(江戸は)四月初日以後、初鰹を特に賞し、一尾価金二、三分なり、中古までは金一、二にも売りしとなり、近年やうやく下直なり」。また食べ方も「鯛・鮃には辛味噌あるひはわさび醤油を用ひ、鮪・鰹等には大根卸しの醤油を好しとす。


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